図解でわかる「大野」
「大野」が日本をダメにする
「シアター・ドラマシティ」という劇場に相応しい、活き活きとした魂とエネルギーに満ちたドラマ。
大野先生が原作「火怨 北の耀星アテルイ」を上手く凝縮、脚色、礼真琴率いるカンパニーはこの大作に臆することなく挑み、新たな「阿弖流為」伝説を築き上げました。
シアター・ドラマシティでの観劇は2008年星組「赤と黒」、2013年月組「THE MERRY WIDOW」以来3度目になりますが、本当にいい劇場だと思います。
舞台と客席の距離が比較的近く感じられ、散漫にならない客席数でスケールと密度の両方を実現できる空間。
そして何と言っても劇場名。
こんなにシンプルで、全てを表現した夢のある名称は聞いたことがありません。
過去2回もこの劇場、名称に相応しい舞台でしたが今回も劇場がはち切れそうなほどの傑作になりました。
カンパニーは年次だけを見れば比較的若いメンバー構成ですが(例えば阿奴志己を演じた天飛華音は研2)、非力な印象はなく、結局舞台は
「演じる気概があるか」
「演じる力があるか」
にかかっていることを改めて痛感しました。
前者に関しては、苦しい、厳しい稽古を乗り越えた結果なのでしょうか、歌、ダンス、芝居・・・難しいことの全てを楽しそうに、幸せそうに演じており、表情を含め全身で充実を表す組子たちの姿が印象的でした。
もちろん舞台の怖さを知らない部分があるからこそ、恐れを知らず果敢に攻めることができたのかもしれません。
それでも「まだ見ぬ怖さ」を勝手に想像して萎縮したり、小さくまとまってしまう可能性がある中、攻めに攻めた姿勢は素晴らしいと思います。
後者は特に近年の星組の風土・・・柚希礼音?北翔海莉が率いた時代に築き上げた「厳しさのある自由」に依るものと見ています。
(もちろんその以前から脈々と受け継がれた伝統があってこそですが)
つまり、組子一人として「埋もれること」を許さない、一人一人が自分で考え、想像し、全力で個性も出し、その上にチームワークを作ってきた歴史です。
したがって一見「抜擢」されたように見える下級生も、この公演で役が付いてから(付いたから)アクセルを踏んで上り詰めたのではなく、いつどんな役が来ても戦える状態にあったのだと思います。
主演の礼真琴は、蝦夷の心を徹底的に掘り下げ、磨きに磨き上げた熱演でした。
何のために戦うのか。
何のために生きるのか。
何のために死を覚悟し、降伏するのか。
原作にも描かれた阿弖流為の蝦夷の人々や自然を愛する心がひしひしと伝わって来て、私自身も心に汗をかくような感覚に陥りました。
人だけでなく、生まれた土地や自然を愛するというのは原作を読んでいる時から深いなと感じていましたが、礼真琴の阿弖流為にはその想いがしっかりと感じられたのです。
また、気持ちだけで直滑降に突き進むある種の不器用な部分が、母礼をはじめ仲間との出会いや本気のぶつかり合いを経て少しずつ成長していく過程まで見事に演じていました。
この「心」がベースにあったからこそ、彼女の「技」と「体」が十分過ぎるほど活かされ、結果「心技体」が最高の形で整い、かつてない高みへ突き抜けていったのだと思います。
彼女の高い身体能力については今さら語るまでもないのですが、筋力、バネ、リズム感・・・自らの才能に奢ることなく厳しく磨いて来たことがしっかりと表れたダンス、殺陣でした。
どう見ても重くまとわりつくであろう衣装で、鮮やかな身体のキレと粘り強い持久力を魅せ、しかもあれだけ動いても息が切れないのは歌が全くブレないことでも明らかです。
歌は蝦夷への哀愁が感じられるのですが、哀しさだけでなく愛と希望が軸にあって、歌声に込められたそんな強さやたくましさにも惹き込まれました。
どこまでも諦めない心、信じる力が阿弖流為にはあるのでしょう。
阿弖流為は良い人というより潔い人だと思います。
その潔さに人は付いてくるのです。
阿弖流為と礼真琴がシンクロして見えたのは、その潔さに依るものかもしれません。
今回、礼真琴一人が上手くて突っ走っていったのではなく、仲間と共に駆け上がっていく姿にリーダーとしての資質を見ました。
礼真琴にとっては作品、劇場、共演者、タイミング・・・全てが最高の形で整った形になりましたが、この運は彼女自身が引き寄せたものだと確信します。
幸運であったとしても、偶然ではないのだと。
彼女の舞台を観ていて(今回に限らず)素晴らしいなと思うのは、余計なプライドやコンプレックスがない点です。
ただひたすら目の前の舞台、役に集中していてそれを極めることに苦しみ、楽しみ、乗り越えているのです。
邪念がないから心もしなやかに動き、真面目でも茶目っ気や観客を楽しませるユーモアがあります。
礼真琴にとっては大野先生の自らへの当て書きを自分の力でものにし、カンパニーをしっかり牽引する力を遺憾無く発揮した名演となりました。
佳奈は原作から一番脚色された人物になったと思います。
いわゆる宝塚ロマンのような(悪い意味での)甘ったるさがあっても作品の世界観にそぐわないですし、逆に原作の描かれ方のままだと宝塚のヒロインとしては少し物足りないところを大野先生が適度なさじ加減で阿弖流為との恋愛を描いてくれました。
有沙瞳は衣装の着こなし、魅せ方含め流石日本物の雪組で鍛えてきただけの力とセンスがあり、星組に異動してまた一歩進化した印象を受けました。
民族衣装を着ていても所作が重々しくならず軽やかな存在感で、彼女も運動神経が良いなと。
デュエットというのでしょうか、阿弖流為@礼真琴が佳奈@有沙瞳を持ち上げて膝を抱きかかえて支え、そのまますり下ろす場面が本編とフィナーレであります。
さらりとやってのけてしまいますが、あれはお互いの信頼関係と身体能力がないとできない難技だと思います。
佳奈は原作よりも気の強い女性の印象がありますが、自らの境遇や厳しい時代に生きる人物として気を張っているのだと捉えました。
蝦夷を想う心の強さは阿弖流為に引けを取らず、その想いはやがて阿弖流為への想いにも重なっていきます。
有沙瞳は雪組時代も歌唱力には定評がありましたが、今回ソロを聴いて感じたのは一本芯が通った歌声になったことです。
蝦夷への想い、阿弖流為への想い。
劇中歌で劇場中を役の想いで満たす姿に、彼女の可能性、将来性、その広がりを期待せずにはいられなくなりま
した。
何よりカンパニーの中でもひときわ充実した表情をしており、フィナーレではこの作品、役を演じられたこと、新たな仲間との出会いに幸せ一杯なオーラが出ていました。
星組への異動は正しかったと、「阿弖流為」という作品、佳奈に出会えたことが大きな飛躍につながったと、振り返った時にもそう思える日が来ると信じています。
公演レポートはその2へ続きます。