ボクシングジムが個人主義を超える日

ボクシングジム

ボクシングジム 世界に愛される 先進技術の日産

堺市役所に用事があって通りがかると、「堺312も7777」という香ばしいナンバープレートのセンチュリーを堺市役所の13号線沿いの駐車場で発見。ここは、見学者のバスやTV中継車などが止まるほかは、議員すらも止めない場所であるので、余計に目立つ。どんなスターが乗ってきているのかとガードマンに訊いてみると、
「困った車です。 『止められません』と断るが、ゴネるので、13号線に渋滞ができ、他の車から苦情が来るので、しかたなく入れている。 時々来るし、他の駐車場でも同じようにゴネて止めるので、ガードマン同士情報共有して、入れてしまっている。 市役所の総務課は、無理やり止めていることを知らない」 とのことだったので、総務課の職員にカメラを持って、駐車場に連れて行く。すると、丁度、車の持ち主が返ってきたところだったので、インタビューしてみる。
堺市役所の特別な駐車場に、ゴネ得で止めているセンチュリーを撃退。名刺交換をすると、シンダイボクシングジム総裁・高尾徹氏とのこと。
裏にはなぜか総合建設業新大グループ代表取締役・池側一嘉氏の名前があった。
本社 高石市取石7-1-52 名刺には他に本店が高石市加茂と鳳西町の2箇所、営業所が北安井町と南田出井町の2箇所記載されている。動画で高尾氏が「乗せるな!」と何度も言っているのは、私の左腕を助手席側の窓枠に乗せていたから。
乗車中の彼と、車の横に立つ私の位置関係がアンバランスなため、話ししやすいので、そこに前腕を乗せているのを、彼が何度も怒っているもの。車を傷つけているわけでも、汚しているわけでもないし(これは途中確認している)、高尾氏が私に危害を加えようと、車から降りてくるまで、そのまま話を続けた。堺東の商店街の会長の名刺を出して、そこに「用事があって止めている」と言うので、商店街の駐車場に駐めるように促す。更にボクシングジムの会長として、子どもたちに礼節を教えなければならない立場にありながら、自身が不当な行為を行ってはイカンだろうと諭す。このような私の問いかけに対し、結局、どんな理由で、駐車場に止められるのかを説明できないまま高尾氏はトンズラしていった。総務課職員は、彼の左手の小指がないことでか、私と彼の声すら聞こえないぐらい遠くで、見守っていた。動画撮影終了後、今後、ガードマンが正常な業務を行えるよう、職員と話をしておいた。トヨタセンチュリー「堺312も7777」「駐車禁止除外指定車(歩行困難者使用中) 被交付者が現に使用中の場合に限る
堺28 0079
有効期限 2019年2月28日 発行日2016年2月28日
大阪府公安委員会」これまさか、他人が発行されたものと違うやろね?駐車禁止除外指定車標章交付基準等級表 大阪府警察
https://www.police.pref.osaka.lg.jp/kotsu/tyusya/5/5976.html
では、
心臓のペースメーカー等内部障がいについても発行されるので、見たところ歩行が不自由でなさそうに見えても、要件を満たしている場合もあるが、他人のものを使用してたら、
他人の駐禁除外指定標章を不正使用 男性書類送検
2019.2.14 20:01 産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/190214/wst1902140047-n1.html
こんなふうに
偽計業務妨害容疑となるよ。ちなみに岸和田との関連性で言えば、阪和線下松駅上がり、額原町の岸和田ボクシングジムとシンダイボクシングジムは親交が深いようだ。
岸和田ボクシングジムの開設時には、元プロボクサーで、現在は山口組系極心連合会相談役の渡辺二郎氏が、ゲスト登場している。南加代子(公明)岸和田市議の看板がジムの前にかかっているが、南市議は、シンダイボクシングジムの高尾氏のこの不躾さが矯正されるように、「南無妙法蓮華経」だけの題目を唱え続けるがよろし。
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ボクシングジムがあれば 晴れた日は、猫になりたい。

昨日開かれた東日本ボクシング協会の総会で、渡辺 均 会長の任期満了に伴い、元WBA世界フライ級王者の花形 進 氏が協会長に選任された。規定により日本プロボクシング協会会長も兼務する。72歳になる花形氏は、プロデビューから11年目、キャリア62戦目で世界王座獲得。「毎日の積み重ね」、「ボクシングが好きだから」という言葉通リ、10回戦に上がるまでは14勝8敗7分という平凡な選手だった。しかし、努力の積み重ねは長いラウンドになってからものを言い。その後は連勝を続ける。その中には後の世界フライ級王者で、永遠のチャンピオンとして今もなおファンの胸に刻み込まれる大場政夫(帝拳)選手に勝った星も含まれている。花形氏は1969年6月、ロサンゼルスで時のWBC世界フライ級王者アラクラン・トーレス(メキシコ)を判定に降す金星を挙げるが、この試合は大場選手陣営が時期尚早として断っていたものだった。しかし、トーレスへの世界初挑戦は判定負けに終わる。余談だが、現在、世界で一番稼ぐプロボクサー、サウル・カネロ・アルバレス(メキシコ)を指導するエディ・レイノソ・トレーナーの岳父はトーレスである。1972年3月の大場選手との世界王座を賭けた再戦では0-2判定負け。もうチャンスはないかと思われたが、大場選手は73年1月にチャチャイ・チオノイ(タイ)との試合に勝利した後、交通事故で急逝。大場選手の王座を継承したチャチャイへ挑戦のチャンスが与えられた。タイでの初戦は敗れたが、74年10月、横浜での再戦に勝ち王座獲得。だが、ようやく獲得した世界王座も75年4月、富山での初防衛戦でエルビト・サラバリア(比)に、よもやの逆ホームタウン・デシジョンで敗れ王座陥落。この判定には会場のお客さんも大いに怒り、様々なものがリングに投げ入れられたが、その中には長靴も。雪積もる富山で長靴を投げ入れ、どうやって家路に着いたのか。未だに心配になりますが、それ程、納得出来ない判定だったという事は理解出来ます。何とかサラバリアとの再戦に持ち込んだものの、ここでもスプリットの判定負け。しかし、ここで花形氏のリングキャリアは終わらず、76年5月、WBC王者ミゲール・カント(メキシコ)からのオファーを受け入れ、メキシコで7度目の世界挑戦を慣行。判定で敗れた後、約13年間のリング生活に別れを告げた。引退後、自分のボクシングジムを持ちたいと願い、世界タイトルを奪取した者として、世界チャンピオンを育てたかったという花形氏だが、「引退当時はジム開設も資金など無く、まずは生活のために職を得ることが必要でした。結局、焼き鳥屋の店員になり、その後はスナックで働きました。しかし、ジム開設の資金の目処など一向に立たちませんでした」と過去を振り返っている。しかし、ボクシング解説の仕事て行った会場で、一言声をかけられてから事態は一変する。20年振りに出会ったという先輩は事業家となっており、「私がジムを建ててやるから」と約束。花形ジム開設のきっかけとなるのだが、その繋がりはランキング選手だった花形氏が、練習後に奢った牛乳2本。「諦めないことです」という花形氏の言葉は説得がある。その後、ジム会長となった花形氏は、2000年12月に教え子の星野敬太郎選手をWBA世界ミニマム級王者に導き、日本初の「師弟世界チャンピオン」を達成している。そして、ついにプロボクシング協会の会長に就任。努力の人の、今後の協会運営に大いに期待!。 


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実家が落ちついたらまたジムにいくぞ(o^^o)♪
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