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ボクシングをなぜ始めたの?

これはだいたい知り合った人みんなに聞かれる質問です

ボクシングみんなそれぞれ始めた理由があるんだろうけど
野球をやってたときになぜ野球を始めたの と聞かれたことはほぼなかった。
それだけ聞かれるってことは
ボクシングって僕らにとっては当たり前だけど、他の人達にはそれほど特殊なのかもしれない。
最近総合格闘技をやってる友達ができたんだけど
その人に僕は問いた。
なぜ総合格闘技やってるのかと
関節や膝、肘  怪我も多くて怖くないのかと
そしたら彼は言った
俺にはボクシングみたいに顔面にパンチが集中するほうが怖くてできないよ。
死人が多いのはボクシングだし、脳のダメージも測りしれない。
と彼は言った。
なるほどそいつの価値観でここまではできるこっからはできないがあるのかと
自分は関節技や、とくに膝 が飛んでくるなんて考えられないと思ってしまうけどボクシングが日常で顔面にパンチが飛んで来る毎日だからそこに関してはなんとも思わないし、当たり前になってしまっています。
昔の話しですが、
中学2年生の頃に髄膜炎になって医者にもしかしたら後遺症が残るかもしれない。と言われるほどの症状になり入院していたことがありました。
その時に親戚にはじめの一歩を持ってきてもらい。
それ以来テレビでボクシングがやってると見るようになった。
興味がふつふつと湧き始めたのはこの頃です。
そして、普通に自分の成績(煙突とアヒルのオンパレードだった)でいける範囲の高校に行き、普通に高校生活を送っていたとき、たまたま夜家に帰ってテレビをつけたらダイナミックグローブというボクシングの深夜番組がやっていてなんかその時なぜかその試合に見入ってしまった。
誰が出場しててとかそんなんわからなかったけど、その試合を見たままの状態で風呂も入らず寝てしまったのですが、その夜に変な夢を見ました。
 なぜかボクシングもやったことないのに自分はボクシングのリングの上にいてコーナーのイスに座ってました。
その時の景色はなんとも不思議だけどまだ頭に残ってる。
すごい歓声が聞こえたんだけど、自分の顔からは血がでていて相手が喜んでた。
たぶん負けたんだろう。
ボクシングをやったこともない自分が夢の中でリングにいて、歓声が聞こえて血だらけになってて相手が喜んでた。
なんだこの変な夢はと思っていたけど夢っておもしろいなー って思った程度でそん時は気にとめていなかった。
学校では当時じゃんけんをして肩を殴り合うのが流行っていて、何発も叩き合って降参した方が負けというバカな遊びがあった。
みんな肩がアザで真っ青になってたんだけど、
その負けというのが別に審判がいるわけでもなくただの根比べだから負けるのは本当に身体も自分のプライドも傷つく
実際には身体なんかより傷むのは心で
プライドの高かった自分には許せなかったけど身体も小さく腕っ節も弱かった自分は降参せざるおえなかった。
そんな弱い自分が嫌でボクシングをはじめたけど、前にも書いた通り本当に才能がなかった。
当時のジムでも全く期待されなかったし、当時なにが嫌だって人に舐められることが本当に嫌だった。
ふざけてそのまま自分が弱いことを笑いに変えたりもして、周りは笑っていたりしたこともあったけど、一人になると当時の判断基準で いやこれは違うな  と
とにかく自分が強くなったら周りにも優しくできるし、敵がきても守れるし強くならないと一生こんな人生だなということに気がついたし、とにかく弱い自分が許せなかったのと弱いにもかかわらず人一倍負けず嫌いな人間だからこそボクシングでもなんでもしてでも強くなろうと思ったのがジムに入門したきっかけ。弱い自分を受け入れられなかったから。
それともう一つさっき書いた夢のこと。なんか気になる夢だったからそれが引っかかってた。
僕はたまに夢でみた光景が現実にそのままあらわれるデブジャ、
あ、間違えましたデジャブがたまにあるんだけど、
その夢もひょっとしたらデジャブになるんじゃないかという興味が出てきて、
それがもしかしたらプロデビュー戦かもしれないし、新人王戦かもしれないしもしかしたらこんな俺だけど世界タイトルまで行けて世界タイトルでの出来事かもしれない  そんな気持ちが思いを馳せました。
当時みた夢
その夢にもし続きがあるんならみてみたいと思ったし、実際ボクシングでプロのリングに上がってみたいと思い始めたとき、当時のジムの内山高志さんが東洋チャンピオンになった試合を直接見に行って、この人はいま一体どんな気分なんだろう。
もしこんな自分にでもこの夢に挑戦できる権利があるなら挑戦してみたいと思ったとき、ただ単に喧嘩に強くなりたいとだけ思ってた気持ちから本格的にプロボクサーを目指すんだって気持ちに変わりました。
もしそこに辿りつけるんなら、その先がみれるんなら  どんなにいばらの道でも進んで行きたいし傷だらけになってもボロボロになってもその道を歩みたいと思います。

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GWも後半ですね
今日しかまとまった連休がない方は本当に良い時間になりますね。
今日は計量前日なのであえて減量のことには触れず(計量とか減量とか言うと余計腹へってくるのでw) 一年前にフィリピンマニラで試合した時の事を書こうと思います。
そう、一年前のGW自分はマニラにいて、人生二回目の海外戦に挑戦しました。
当時の貴重な経験が今後活かされてくと思いますし、そのとき携わっていた方達に感謝したいです。
試合が決まった経緯を話すとまず去年の3月に角海老の萩森マネージャーからフィリピンで兄弟で練習に行ってみたらどうかという話しをいただきました。(自分には同じジムに武田航という弟もいる)
人からなにか話しを頂いたら常に9割以上の確率で二つ返事をすると決めている自分はもちろん二つ返事をし、日程を決め、ミサコ会長(ミサコジム会長)に間に入っていただき、マニラでは有名なエロルデボクシングジムを紹介していただきました。
合宿期間は2週間
近くのホテルに泊まりながら練習しました。

エロルデボクシングジムこんな感じのジムです
もちろん日本のジムとは違って設備も整ってないし、シャワーもない、練習後はみんなで仲良く水浴び(その水も雨水だから綺麗ではない) 
そしてなにより屋外で練習するから熱いのなんの。
40度を越える暑さの中、パワーのあるフィリピン人とバチバチ殴り合うと本当に終わって頭がポーッとなります。
しかし最初の方はフィリピン人の独特の動きについていけずにひたすらボコられたな。
初日なんて倒されたし。。

弟とフィリピン人のjun

フィリピンで愛されてるファストフード店 ジョリービー 。 フィリピン人はジャリビーという


そして自分のスパーリング(先に話すとこれは後半のスパーリングでみなさんが期待している合宿前半のボコボコになって倒されるスパーリングではないので、少し調子も上がってきたときのスパーリングなのであしからず。相手は元東洋ランカー、日本でも芹江選手と紙一重の好ファイトを演じたマイケルエスコビア選手です。)
フィリピンはまだまだ発展途上国でいまは日本とはまるで違う風景

基本的に歩いてる道は平らではないガタガタ道で思っ切り晴れてんのに排水ができてないからあちらこちらに水溜まりや穴があり日本みたいに歩きスマホなんてしてたらエラい目に遭います。

こちらはマニラでもなかなか治安の悪いマラテという所の近く
よくみるとこの店?を切り盛りしてるママも子供も靴を履いていません
そんなのはフィリピンでは当たり前の光景(もちろん靴やサンダルを持ってる人のが多いけど)
そしてお金がなくても買えるようにタバコは一本単位で売られます。
だから犬もだいたい腹いっぱい食えることはなく、大体の犬がこんな感じに痩せこけてます(肋骨がもろに浮き出てる犬もいる。むしろ半分くらい)
そして人が溢れてるため夕方にこんな感じで渋滞で全く進まなくなる。
フィリピン人はやたら子沢山、兄弟が多いのが当たり前です。
だから街中子供だらけ、その代わり老人が本当に少なく平均寿命は当時調べたのが確かだと56歳くらいだった。
それでもこれは平均寿命でもちろん殺されて死ぬ人も多い。
そんな中、ミサコ会長から現地の日本人の方がいるからと紹介していただいた松岡さん(かつてマルコムツニャカオ 元世界王者のマネージャー)
を紹介していただき、日本人居酒屋に連れてってもらい、いろいろフィリピンのディープな話しをしていただきました。 
日本人やきとり居酒屋 『おおきに』
ここのオーナー方にもすごく良くしていただき、そこの常連さんらを紹介していただいたり、僕ら兄弟はほとんどの夜をこのお店に入り浸らせてもらいました。
もう本当に日本に帰国する最後の最後までお世話になりっぱなしで食事代も何度もお金を置いてこうとしたのに いらん とか半分でええよ とか言ってくれたり、本当に良くしてもらいました。
そんなこんなでマニラをすっかり気に入ってしまい、ここで試合したいと思うようになり、日に日にその気持ちが固まってくのをいまでも憶えています。
そんな気持ちにさせてくれたのもそんなフィリピン在住の日本人の方がいたからだし、なにより自分の好奇心が抑えられなくなったから。
しかしボクシング業界 噛ませ犬としてフィリピンに呼んでもらうのは飛行機もタダだしホテルも全て用意されていて、ファイトマネーだってキャッシュで貰えるのだが、それはプロモーターが日本のジムに依頼して話しを貰ってから決定するという、要するに受け身なわけです。
そりゃ噛ませ犬で呼んでくれれば世界中どこだって行くし地球の裏側だってカバンひとつで戦いにいきたいって人一倍強い思いはあるのですが、噛ませ犬で海外に呼んで貰えることなど滅多にない。
噛ませで話しをもらったのは
6回戦で当時まだ21歳  ワタナベジムでタイで現地の世界ランカーとやらせてもらった時、その時は日本で一ヶ月後に試合がほぼほぼ決まってた状態だったけど、それを断ってタイを選びました。
なぜかってそっちのが面白ろそうだったから。
あの時は当時のジムにわがまま言ったなぁ
んであの時は初回にダウンとれたまではいいけど、5ラウンドに人生初のKO負け
したのと角海老ジムに移ってからメキシコとナミビアから話しもらったのが二回。 メキシコとナミビアも二つ返事で返したけど結局成立しなかった。
こんだけボクシングやってて海外から話しを貰うってのは三回だけ。
だからそんな話しをただ指くわえて待ってた
ていつまでたってもやれない。
ってのを相談したところエロルデジムのベボットというボスがそしたらうちのボクシングの興行が5月にあるからそこに入れてあげようか?
でもお金はかかるよ と。
話しを貰いました。
そこで僕は30秒ほど迷った。(基本的に日常の物事は即決だけど、じっくり考えた)  日本で試合するとまとまったお金は貰えるけど、フィリピンで試合すると逆にお金が出て行くのかと。
金額的には
相手のファイトマネー
GABというフィリピンのコミッション料
エロルデとミサコジムに仲介してもらう仲介料兼プロモート料
こっちでかかる飛行機、ホテル代 等
全部合わせたら30万円ちょい
自分のファイトマネーはなし。
たかが30万円 と思う人もいるかもしれないが、試合をしてお金を貰える通常のプロボクシングでお金を払って試合をするというたぶん他のボクサーには理解できない感覚だと思います。
しかし、僕は30秒後に損して得とろうと考えた
やるとなったら敵地だしなにがあるかわかんねーしハメられるかもしんねー
けどとりあえずやってみなきゃなにもわかんないなと。
とりあえず日本に帰って角海老ジムの会長に話しをしてオッケーをもらえればこの話しを決めてくれと伝えて帰国した。
ちょっと前置きが長くなってしまったので、
つづく。。
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