片手にピストル、心にボクシング

ボクシング

ボクシング 美しい日本をつくろう

先日、近所の神社に、参拝に行きました。

 

現在の私は、あまり欲が無くなったのか、願い事も、だんだん少なってきて、自分の夢や願いよりも、

 

「世界が、このまま、平和でありますように!」

 

というような、社会全体に関する願掛けが、多くなっています。

 

参拝しながら、木の上で鳴いているセミ、それから、拝殿の中で、昼寝をしている猫ちゃんなどを見ながら、

 

「今、この平和を、壊してはいけない…」

 

と、強く思いました。

 

 

 

 

 

 

最近の戦争の記事、大反響ですね。

 

今日は、72回目の「終戦記念日」です。

この日を記念して、もう一つだけ、戦争関係の記事を書きますね。

 

 

 

今年の3月に、愛知県を旅したのですが、いつか行ってみたいと思っていた、半田市にも、ようやく行くことができました。

 

どうして、ここを訪れたかったかというと、日本の戦後史において、最重要な土地だからです、

 

 

 

半田市の中でも、どうしても訪れたかった場所が、ここです。

 

 

 

ここは、半田市の中でも、何もない土地です。

どうして、何もないか、わかりますか?

 

 

 

どこかに、似ていませんか?

 

 

 

 

そうです。

 

東日本大震災の後の東北地方です。

どうして、風景が似ているのか、わかりますか?

 

その理由を、これから書いていきます。

 

 

 

半田市のことを、詳しく知ろうと思い、資料館のような所を訪れたのですが、その日は、あいにく、休館日でした。

 

愛知県半田市の市章は、「八芒星」と「十字架」を組み合わせたような形になっています。

 

以前の旅行記の中で、「イナンナ(聖母マリア)」が、「八芒星」、そして、その息子である、「キリスト」が、「十字架」が、シンボルマークだと書きましたね。

 

この建物には、そのマークがありました。

 

 

 

道路上のマンホールの蓋にも、このマークが刻まれています。

 

 

 

 

愛知県半田市は、戦前、戦中、戦後と、日本の軍事や経済に一番影響を与えた、最重要地点なのです。

 

 

半田市には、「中島飛行機の工場」がありました。

 

ここでは、1400機もの世界最高水準を誇る戦闘機がつくられ、戦争初期、日本は快進撃をつづけていました。

 

特に、「疾風(はやて)」と呼ばれていた、ゼロ戦は、当時、世界一の飛行機で、たくさんのアメリカの戦闘機を、撃ち落としていたので、アメリカ軍の脅威になっていたそうです。

 

 

 

戦後、「月光仮面」という番組で、

 

「疾風のように現れて、疾風のように去ってゆく…」

 

という歌が流行りましたが、このゼロ戦のことだという説もあるようです。

 

 

しかし、後に、アメリカの物量作戦にあい、戦局が不利になると、国は、戦闘機の2.5倍の増産に、踏み切ったのです。

 

熟練工が出陣するなか、学徒が全国から集められ、半田に送られ、戦闘機の製造にあたりました。

 

「お国のために…」

 

という思いで、学徒動員の生徒たちは、劣悪な労働環境の中、味噌汁と御飯だけという食事で、毎日12時間以上の長時間労働に従事したそうです。

 

「生産戦士」という呼び名で、持ち上げられて、軍の無謀な生産計画を、担ったそうです。

 

 

これだけ優秀な戦闘機を、製造していた工場ですから、アメリカ軍による、凄まじい空襲も受けています。

 

アメリカからすれば、なんとしても潰したい場所だったのです。

そんな中、1944年年12月7日の夜、午後1時36分に、 M7.9という関東大震災に匹敵する地震が東海地方を襲ったのです。

 

最大の被害に遭ったのは、半田市の中島飛行機の工場でした。

 

 

当時の現場にいた人の証言によると、非難しようとした人々の上に、壁が崩れ落ちてきたそうです。

 

「 くるしい、たすけて、おかあさん…」

 

生き埋めになった生徒たちの声が、あちらこちらから、聞こえてきたそうです。

 

とても凄惨な光景だったようです。

 

学徒96人を含む、153人が亡くなったそうです。

 

ただし、この時の死者の数は、記録されていないだけで、実際には、もっとすごい数の人々が、この地震で亡くなったと言われています。

数万人という説もあります。

この大地震については、以前にも、ブログで紹介しましたが、やはり、これも、当時のアメリカ軍からの攻撃だったようです。

 

「人工地震」だったということです。

 

詳しいことは、省略しますが、2011年8月には、NHKでも、この出来事が、テレビで放映されていました。

 

「封印された大震災~愛知・半田」

 

という番組名でした。

 

これは、「終戦記念日特集」ということで、NHKスペシャル番組が、全国ネットで放映されたのです。

 

これを観た方も、多かったと思います。

おそらく、動画は削除されてないと思いますが、凄い内容でした。

 

 

よほど、この出来事は、知られたくないようで、当時も、箝口令が敷かれて、国民に隠されたみたいですが、現代でも、あれ以来、これを報道するメディアは、ほとんどありません。

 

 

 

戦争が終わってから、当時の中島飛行場の工場にいた、生き残った技術者たちは、「自動車」の生産を始めたそうです。

 

それは、戦後に、GHQが、

 

「日本人には、もう二度と戦闘機や戦艦などは、作らせないぞ…」

 

と思って、これらの製造を、法律で禁止したからです。

 

 

日本人の技術者が、飛行機を製造していたら、絶対に墜落しない飛行機を作っていたかもしませんが、それが、できなかったので、仕方なく、自動車の製造に、取り掛かったそうです。

 

それが、現在の「富士重工」という会社だそうです。

 

「スバル」という自動車で有名ですね。

 

「昴」、つまり、「プレアデス」という名前の会社です。

 

 

「アヌンナキ」の一族、それから、「イナンナ」などのグループは、宇宙的なカテゴリーでは、「プレアデス」のグループだと言われています。

これも何か、深い意味がありそうです。

 

 

この会社以外にも、当時の技術者たちは、「トヨタ自動車」、「本田技研」、「ヤマハ発動機」などに、就職したそうです。

 

だから、日本の自動車産業は、東海地方のあたりで、盛んだったんですね。

 

 

誰も言わないので、私が、ここで書いておきますが、この歴史的な出来事で、一番大切なことがあります。

 

 

それは、家族や友人などを、アメリカに殺された、この技術者たちが、仕返しをしなかったということです。

 

とても悔しくて、頭に血がのぼっていたとは、思いますが、

 

「あれは、戦争だったから、仕方ないかもしれない…」

 

こういう冷静で、客観的な視点も、あったのだと思います。

 

これは、愛知県半田市だけじゃなく、当時の日本全体が、そういう複雑な気持ちを抱えたまま、終戦記念日を迎えたのです。

 

 

軍事的な仕返しを、やらなかったということです。

復讐すれば、その憎しみの連鎖は、永遠に続くということを、心の奥底で、知っていたのだと思います。

 

 

では、何をしたのかというと、それが、前述したように、

 

「自動車の生産」

 

だったということです。

 

「日本人の優秀さを、世界中に見せつけてやるぞ!」

 

戦闘機が作れなくなった技術者たちが、夜寝るのを忘れるくらい、猛烈に働いたのです。

 

 

 

それが、日本の「高度経済成長」に繋がったのです。

 

1980年代後半には、世界第2位の経済大国になりました。

ある計算によると、瞬間的には、世界第1位になったこともあったそうです。

 

これが、どういう意味か、わかりますか?

 

「戦争で負けても、世界一豊かな国になることができる!」

 

こういう姿を、世界中に見せつけたということです。

 

 

世界史上、最高の国の姿を、日本は、世界中に見せつけたとうことです!

 

「負けて勝つ!」

 

こういう高等な戦略を、世界史上、初めて、地球上で体現して見せた国が、「日本」なのです。

 

第二次世界大戦において、日本の戦いは、1945年に、一度負けて、1980年代に、世界経済で、トップになるところまでの大計画だったということです。

 

おそらく、そのために、わざと負けたのだと思います。

 

もしかしたら、

 

「プロジェクト フェニックス(不死鳥)」

 

というような名前の計画だったのかもしれません。

 

 

繰り返します。

 

数千年の世界の歴史の中では、

 

「戦争に勝った国が、豊かになれる。戦争に負けた国は、皆殺しにされるか、奴隷にされ、永遠に貧乏なままになる」

 

これが、常識だったのです。

 

それを、長い歴史の中で、日本が初めて、その流れを変えたのです。

 

 

要するに、

 

「戦争で勝つことには、意味がない」

 

これを教訓として、世界中の人に、教えたのです。

 

「戦争」を、無力化したのです。

 

 

これが、「愛」です。

そして、「知恵」です。

 

「自分を傷つけた相手に、復讐するエネルギーがあったら、もっと別のことに、労力を注ごう! 日本中、そして、世界中の人を、豊かにするために働こう!」

 

これが、戦後の日本人の精神だったのです。

 

何千年も、宗教戦争をやっている国々とは、違うのです。

 

これが、「本当の愛」だと思います。

 

 

 

このあたりの史実を、アニメで表現しようとしたのが、宮崎アニメの「風立ちぬ」だったと思います。

 

このアニメ、中途半端な終わり方をしたことに、気がついた人も、多かったと思います。

 

私は、当時、宮崎監督に、なんらかの圧力がかかって、本当に描きたかったことを、描かせてくれなかったのではないかと、推測しています。

 

だから、宮崎監督は、怒って引退したんじゃないでしょうか?

あくまでも、個人的な憶測です。

 

 

 

 

他にも、面白いことに、気がつきました。

 

 

「半田」の文字を見てください!

 

「田」は、「十字架の精神を秘めている」という意味です。

 

さらに、「半」は、「¥マーク」、つまり、「円」、「経済力」です。

 

「本物の愛を知っている人たちが、キリストの愛の精神で、日本の経済力を支えてきた土地」

 

これが、愛知県半田市なのです。

 

 

ほとんど知られていませんが、1958年6月6日に、世界で最初に、「非核自治体宣言」をしたのも、半田市です。

 

当時の「核戦争」の脅威に、国ではなく、地方自治体として、「核兵器廃絶」を、主張した街なのです。

素晴らしい街ですね。

 

 

これらの出来事は、もしかしたら、地球の歴史を動かしてきた、神々による、壮大な「愛の計画」だったのかもしれません。

 

 

愛知県だけでなく、日本中に、こういう話は、山ほどあります。

 

日本は、古代から現代まで、「神の愛」を、ずーっと実践してきた国なのです。

 

「神の愛」とは、「愛」と「知恵」を兼ね備えているということです。

 

 

 

もう一つの話をします。

 

 

ご存知のように、日本でも、アメリカでも、実際に、政治を動かしているのは、政治家ではありません。

 

彼らは、将棋の駒のような存在で、実際に、それを動かしている将棋の名人のような存在がいます。

 

素人が、名人たちの将棋を見ても、

 

「どうして、そこに、その駒を置くんだろう?」

 

と、意味がサッパリあわからないように、政治も、素人には、本当の動きは、わからないようになっています。

 

現在の安倍政権は、わりと長期政権になっていますが、戦後、特に、昭和の時代は、日本の政府は、首相をコロコロ変えるのが、お家芸でした。

「どうして、こんなに、コロコロと、首相が交代する
でしょう?」

というような感想も、多かったみたいです。
国家がらみで、なにか非常識で、非合理的だと、思われることが行われる時、だいたい、その奥底には、「国防」が関係していることが、多いみたいです。
ある本に書いてあったのですが、日本の場合、外国からのいろいろな圧力や嫌がらせなどには、昔から、正面から戦わずに、「肩すかし」のような技で、攻撃を避ける戦法を、好んで使っていたそうです。

つまり、首相を、コロコロ変えることにより、アメリカやロシア、中国などの大国からの攻撃を、避けてきたようです。

「もうそろそろ、日本の首相を手なずけて、飼い犬にできるぞ」

というふうに、大国が思ったところで、また首相を変えれば、また最初から、懐柔策を考えなければならないのです。

 

最近でも、首相は、変わりませんが、適当な頃合いを見て、失言や異性問題などで、問題にしてから、「解散総選挙」などをやって、大臣クラスを、総入れ替えすることは、よくありますね。

 

あれも、外国からの圧力、具体的には、アメリカからの脅迫などから、逃げているのだと思います。

わざと、どうでもいいことを、問題にして、首にしているのだと思います。

大臣たちを、暗殺などから守るためです。

こうやって、日本は、外国からの政治的な圧力から、逃げて、逃げて、逃げまくってきたようです。
たしかに、本当に情けない部分もありますが、一部では、

「ワザと情けなくしている」

ということもあるのです。

大国と正面からぶつかるのではなく、逃げることによって、日本国民を、戦争から守ってきたということです。
 

 

たとえば、私が、沖縄で中学校に通っていた頃、学生服に坊主頭が、校則でした。

「どうして、いまどき、学生服に坊主頭なんだろう? こんなことしても、学力が、上がるわけでもないし、日本という国家は、どうして、こういう理不尽なことをするんだろう?」

と思っていました。
しかし、今考えると、あれは、「国防」であり、外国に対する、デモンストレーション(威嚇行為)なのです。

「平和憲法の国だからといって、あんまりナメないでくださいよ。いざとなれば、いつでも、戦前の軍国主義に戻れるんですよ。この中学生たちは、いつでも戦えるんですよ」

という視覚効果を、狙ったものだそうです。

そういえば、最近は、少なくなりましたが、当時の女子学生も、大半はセーラー服でしたよね。

このセーラー服も、もともとは、イギリス海軍の軍服です。
あとは、ほとんの日本人が、不思議に思っていると思いますが、

「どうして、中学と高校の6年間も、英語を習っているのに、ほとんどの人が、英語が、ベラベラと喋れるようにならないんだろう?」

という素朴な疑問です。
これも、「国防」が関係しているそうです。

日本の国家の方針として、明治時代くらいから、

「国民のほとんどが、英語が、ベラベラ喋れるようにならないようにしよう!」

という意図や戦略があったようです。
つまり、当時の世界情勢を見た場合、国民の大半が、英語が、しゃべるようになった国は、イギリスやアメリカに、いいように植民地化されて、その後、搾取されるようになっているという現実があったからです。

だから、

「国民のほとんどが、ほどほどに英語がわかるレベルくらいにしておいて、本当に英語が必要な人材は、少数だけ専門教育をして、外国との交渉に役立ってもらおう!」

こういう政策を選んだのだそうです。

どうですか?

ほとんどの評論家は、教育の問題を、「教育」だけの視点から論じていますが、こういう問題に、「国防」の視点をいれると、また新しく見えてくるものが、あるのではないでしょうか?
他にも、現在の日本の経済状態です。
これも、ほとんの評論家は、「経済」だけの視点から論じていますが、この問題に、「国防」の視点を入れると、いろいろと見えてくるものもあります。

これも、ある本で読んだのですが、現在、日本の国家の方針で、

「あまり経済状態を、よくしないようにしよう」

という意図が、あるようなのです。
もちろん、自然に悪くなっている部分もあるし、政治家や官僚などがダメだから、悪くなっている部分もあるのですが、一部には、

「ワザと経済を悪くしよう」

という動きが、あるようなのです。
これは、悪意をもって、やっているわけではなく、善意からみたいです。

つまり、これだけ、世界経済が混乱して、戦争や貧乏で、苦しんでいる国が多い中で、日本だけが、あまりにも成功しすぎて、裕福になりすぎると、外国から、戦争やテロを、吹っかけられる危険性が、高まるからなのだそうです。

「私たち、日本という国も、苦しんでいるんですよ。そんなにいい国では、ありませんよ。戦争なんかで侵略してきても、あまり旨みはありませんよ」

こういうアピールをやる必要が、あるということです。

ちょうど、田舎の金持ちの家が、周囲の貧乏な家からの嫉妬を、避けるために、わざと粗末な家に住み、子供たちにも、質素な服を着せ、お小遣いも、あまり与えないようにするようなものかも、しれません。
ギャングばかりの街で、金持ちが羽振りのよさそうな格好をして、

「もし襲われても、絶対にやり返しませんよ」

などと言ったら、どういうことになるか、想像してみてください。

1980年代の日本は、経済がトップクラスで、平和憲法をアピールしていましたが、こんなに、危ない状況だったのですよ。

考えてみれば、日本人は、

「自分たちの国は、ダメな国だ…」

と思い込んでいますが、これは逆に、相当心に余裕がないと、できない行為です。

本当に、ダメな国などは、

「自分たちの国は、素晴らしい国だ!」

と思い込もうとしていますね。
日本の場合は、このように、

「敵を欺くには、まずは味方から」

というように、国家が国民を、

「いかにも、ダメな国に住んでいるかのように思わせる」

という政策に、うまく乗せているようです。
1980年後半に、日本は、世界第二位の経済大国になりました。

しかし、その後すぐに、公務員や大企業の会社員が、「週休二日制」や「フレックスタイム制」を導入しています。

また、「ゆとり教育」も始まりました。

これも、

「世界第一位の経済大国なんかになったら、外国から、戦争やテロを吹っかけられる。そろそろ、日本人も、ブレーキをかけたほうがい
。これ以上がんばると危ない」

という「国防」を、目的とした政策だったようです。

 

国民のほとんどが、高校を卒業しているような賢い人々の国で、皆が、朝から晩まで、真面目に働いたリしたら、簡単に、世界経済で、トップになってしまうのです。

 

しかも、武器を持たない丸腰が、ポリシーで、

 

「やられても、やりかえさない」

 

こんなことを、世界中に、アピールしていたのです。

 

これは、

 

「襲ってください!」

 

と、言っていたようなものです。

 

 

だから、国民全体を、わざと、あまり賢くしないように、授業も、

 

「円周率は、3.14ではなく、3でいい」

 

とかいいだしたのです。

 

他にも、あまり働きすぎないように、休日も増やしています。

 

 

今、振り返って考えてみれば、とても危険な状態だったのです。

特に、「JAL123便」の事件があってから、経済至上主義を、やめたみたいです。
経済なんかよりも、国民の命のほうが、大事だからです。

 

 

つまり、1990年代以降は、日本の政策として、わざと、経済をダメするという方針に切り替えたのです。
 

あえて、経済を、世界ランクの30位から外に、落としたのです。

 

 

日本は、世界史上、これも初めて、経済的な発展を捨てることに、成功したのです。

 

22世紀には、

 

「日本と言う国が、世界で初めて、お金の呪縛から、いち早く脱出した」

 

と、後世の歴史家たちに、評価されるかもしれません。

 

 

では、日本人が、「経済的な成功」の代わりに、何を得ることにしたのかというとそれが、「幸せ」だったようです。

 

バブルが弾けた後、日本人は、無意識的に、「成功の時代」から、「幸福の時代」に、移行したのだと思います。

 

10年くらい前に、日本の政治や経済などを、影で大きく動かしている人物と会って、いろいろなお話を、うかがう機会に恵まれました。

その時に、その人物から、興味深い話を聴きました。
1980年代に、日本も、「国防」について、真剣に検討したことがあったそうです。

当時は、戦車やミサイルなどの戦いから、レーガン大統領の「スターウォーズ計画」のようなレーザーによる、宇宙規模での戦争に、移行する可能性が出てきた頃でしたね。

金融戦争も、始まりそうだったし、ウイルスなどの生物兵器、地震兵器など、いろいろな戦争の可能性も出てきました。

情報戦争の可能性から、日本にも、「CIA」などの情報局を、つくろうという動きもあったようです。

 

アメリカやロシア、中国などは、その頃から本腰をあげて、超能力者たちを、戦争に使う戦略を、考えていたようです。

「外国に負けずに、日本も、超能力部隊を、自衛隊などに設置しよう!」

という動きも、あったようです。

「これからは、超能力戦争だ!」

と、意気込んでいた軍事関係者も、日本に、けっこういたそうです。
しかし、日本のトップの超能力者たちが、一カ所に集められ、政府の要人と、長期間、いろいろと話しあった結果、最終的には、

「超能力を、戦争などのネガティブな行為に使うのは、やめよう!」

という結論になったようです。

 

なんでも、ミーティングしている最中に、全員が、同時に、「アトランティス時代」の前世の記憶が、蘇ってきたのだそうです。

 

「アトランティスの頃の大破壊を、また、繰り返してはいけない!」

 

その場にいた全員が、それを瞬時に悟ったのだそうです。

 

これは、おそらく、日本を守護している神々が、それをやったのだと思います。

 

 

これは、アトランティス大陸が、津波で滅びる場面の想像画だそうです。

こういうビジョンを、見たのだと思います。

 

 

では、「超能力部隊」」の代わりに、何を始めたかというと、マンガやアニメなどを使って、大人ではなく、世界中の若者や子供たちに、メッセージを届けようという戦略にしたそうです。

マンガやアニメの内容や歌などに、「平和」、「勇気」、「協調」、「愛」などをいれて、若者たちの心から、変えるという方針にしたのだそうです。

「超能力」などの最先端技術ではなく、もっと強力な、「愛」を使うことに、決めたのだそうです。

その人物から、この話を聴いて、とても感動しました。

 

 

あれから、30年くらいの年月が経ちましたが、日本のその戦略は、ボクシングのボディーブローみたいに、じわじわと効いてきています。

 

現在、世界中の政治家たちが、子供時代に、日本の漫画やアニメで、育ったので、魂が、「愛」のモードになっている人が、たくさん誕生しているのです。

「愛による国防」

もしかしたら、これからは、世界でも、これが流行るかもしれません。

そして、その後に、「国防」など必要のない、本当に平和な地球の姿が、待っているような気がします。
 

 

 

最後に、もう一つだけ書き加えておきます。

 

「第二次世界大戦では、日本は負けていない」

 

という解釈もあるそうです。

というのは、日本の第二次世界大戦において、そもそもの「戦争目的」は、

「欧米列強から、アジアの国々を解放する」

というのが、目的だったわけで、そのために、「大東亜共栄圏」という構想を、計画しています。

 

そして、戦後、アジアは、欧米諸国の植民地から、解放された状態になったわけだから、日本の戦争目的は、達成されたということなのです。

だから、

「負けた」

というのは、あくまでも、

「アメリカなどの国に負けた」

というだけの話で、日本は、

「自国が掲げた戦争目的は果たした。だから、あの戦争は成功だった」

という解釈もできるのです。

 

 

繰り返します。

 

「戦争というのは、戦争目的を達成すれば、戦争に勝ったことになる」

 

ということです。

 

だから、日本は、戦争には勝っているのです。

 

ただ単に、アメリカに負けたというだけの話です。

 

だから、8月15日は、「敗戦記念日」と言わずに、「終戦記念日」という名前になっているそうです。

「戦い
を終わらせた日」

 

これが、1945年の8月15日なのです。

 

世界史の中で、初めて、

 

「戦うことに、意味がない」

 

という流れをつくった、歴史的にも、素晴らしい日なのです。

 

 

もしかしたら、この日は、22世紀には、西暦のように、「BC」や「AD」などの記号で、区切られることになる、世界的な記念日になるかもしれませんね。

 

 

 

1945年8月15日正午に、ラジオ放送された、昭和天皇による終戦の音読放送を聴く人たちです。

 

 

<参考>
日本が、経済成長や軍事力などの競争を卒業して、「成功の時代」から、心の安定などの「幸福」の時代に、目標を移している、わかりやすい資料があります。

世界中の国の「平均寿命」です。

平均寿命というのは、その国の「幸福度」を、かなり正確に反映していると思います。

つまり、

「幸せな人は、長生きする」

というシンプルな傾向が、あるということです。
2015年の時点での資料ですが、男女平均は、日本が、世界1位です。

特に、日本人女性は、世界1位です。

日本人男性は、第6位です。

日本人女性は、世界一幸福な人生を、送っているみたいですよ。(笑)

ちなみに、アメリカは、31位で、中国は、53位です。
どうですか? 

経済成長率なんかよりも、こちらのほうが、凄いと思いませんか?
あと、参考までに、世界の平均寿命は、男性が69.1歳、女性が73.8歳、男女平均が71.4歳。

日本人の平均寿命は、男性が80.5歳、女性が86.8歳、男女平均が83.7歳。

データがない国を除くと、最も寿命が短い国は、シエラレオネで、男女平均50.1歳だそうです。

日本とは、30年くらいの差がありますね。
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レアでモダンなボクシングを完全マスター

ライブ疲れから一夜明けた今朝。

ヴィヴィがすやすや寝てるとおじじにちゅーされ、何だ?と思って目を開けるともう家出る準備万端
3時くらいに寝たのに今何時だよ?と思ったらまだ8時前。元気だな
職場に行かないといけないらしく、寝ててねーと言われたからそのまま二度寝ですやすや。
その後メール来てたのも気づかず、おじじに10時くらいに起こされた時には、買い物も洗車も猫のトイレの掃除も済まされていた。笑
ちゃっちゃとしてますね
シャワーしてる間にコーヒー入れてもらい、YouTube見ながら化粧してようやくお昼頃に出かける準備万端
ラングレーの方に行ってヴィヴィ用のフィッシング用品をお買い上げ。←全く興味なし
それからキャンピングカーに改造したいなーと思ってるらしい車を見に行った後、さて、これからどーする?となったところで。
今日はラスベガスでUFCっていう超大きいボクシングの大会?があって、それをどこで見るかってのが昨日からBoysの話題になってたんだよね。
パブに行くのもどこも予約取らないから超早く行かないと行けない。しかも今日ばかりは席料にお金取られる。
そして家で見るにもなんと$100払ってその放送をしてる回線を買わないと見れないという
え、そんなことありえるの????
ってことでヴィヴィはよくわからないまま、おじじの友達が回線買ったらしく、ターキー焼いて家でみんなで見ようって誘ってくれてたからそこで見ることに

←ご飯の準備中

試合が若手の人のものからどんどん大物同士になってきて、みんなでターキーディナー食べながら飲みながらワイワイ。
ま、ヴィヴィは全く誰も知らなかったんだけどね
K1とか見てる感覚で見てました
メジャーな試合はこの2人だったらしくテレビ局も引っ張る引っ張る
白人のアイルランド出身の彼は総合格闘技だかなんだかで超強いし、若いけどボクシング は初挑戦らしく、黒人の方はボクシング強いけど40才という。てか見えない若い
そして試合開始
おじじにちょこちょこ解説&説明してもらいながら、どっちを応援しよう劣勢の方に頑張ってもらいたいとハラハラしてる間に、黒人さんの方が勝ちました
最初は押されてるように見えたけど、それは作戦だったらしく最初にヘビーなの色々貰っといて疲れるのを待ってたらしい
さすが経験がものを言うね!
アイルランドの彼も頑張ってたし勢いあったけど、やっぱりボクシングは初心者だし、ベテランには苦戦するか
この大会、すごくお金かかってるらしく、会場も観客も何もかも規模がすごかった
てか家で放送見るだけで$100ってありえない
けっこう一瞬で終わりましたけど??笑
試合終わった後はすぐ音楽ガンガンにかけて外でまったり
ちょっとキャンプ気分で楽しかった
真夜中までワイワイして帰ってきたよー。
今週末は色々と動いてるなー。まだ仕事してる頃だったら、いくら楽しくても忙しすぎて嫌になってたかもな
でも今は月曜日になったら1人になって平穏な日々が来るってわかってるから気楽に楽しんでおります
←THE ニートの余裕
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