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最後の数日、玲は昼間
病院で輸血や点滴をこなし、
夜はお家に帰してもらっていました。
このとき私は、
玲が帰りたいと言う限り
数時間でもお家ですごしたいと
思っていたし、
主治医団もそのために
本当に協力してくださいました。
だけどもう体もキツく、
呼吸も苦しかった玲は
夕方から寝るまでの
お家で過ごす時間に
全ての体力を持っていけるように
昼間、病院では話すことも
笑うことも最小限。
座って遊んだり
何かを食べることもせず
ひたすら横になり体力を温存し
過ごしているようでした。
そのかわり、
お家で起きて過ごせる数時間は
座ってゲームもしたし
ごはんも食べたし、会話もしたし
笑顔も見せてくれました。
本当にお家が好きだったし
きっと私たちがこの先
最後まで元気な玲の姿を
思い出せるように、
家族の前では ありったけの元気を
見せてくれていたんだなって思います。

5月23日。

この日も昼間は病院で
過ごしていました。
午後から初発の入院時に
仲良しだったお友達親子が
みんなで会いに来てくれました。
でも最後の2週間
玲は本当に体がキツく、
あまり家族以外の人に
会いたがらなかったし
病室からも出ることも
ほとんどありませんでした。
"最近の玲の様子だと
面会室まで出ていく元気は
ないかもしれない…"
そうお友達にも伝えてはいたけど、
この日玲は「会いにいく!」と言って
バギーに座ってみんなに会いました。
数十分だったけど、
みんなと同じように
面会室で座って
お菓子を食べたり
動画を見たりしました。
珍しいと驚きながらも
やっぱりお友達が大好きなんだなって
その時はその程度にしか思わなかったけど
今思うと、大好きなみんなに
ちゃんと会ってお別れしたかったのかなって
そう思えてしまいます。
そしてこの日は
血小板の輸血が必要でした。
ただ血小板が届くのに
時間がかかるということで
夕方から一旦、お家に帰してもらい
夜病院に戻って、寝ている間に
輸血をすることになりました。
「ちょっとの外出だけど、
   夜ご飯をみんなで食べて
   お家でゲームして病院戻ろうね!
   今日は久しぶりに病院で寝んねだけど
   その代わり明日は朝からいっぱい
   お家帰れるからね!」
そう玲に話していました。
夕方、病院を出て、
学校終わりの凛を お迎えに行きました。
凛は、以前通っていた保育園の
児童クラブに行っています。
玲も通っていた保育園で、
大好きなお友達や先生もたくさんいるので
凛を迎えに行くのが
大好きでした。
そしていつもいつも
「元気になったら、
   玲もまたここに通いたい!」
と話していました。
そんな大好きだった保育園にも
最後は行く元気がなく
いつも車で待っていました。
この日も、病院からの道のりを
キツそうに座席を倒して横になっていたので
私だけ迎えに降りようしたら、
  
「玲も行く!」
と体を起こしました。私の、
「大丈夫?」
という心配にも
「うん、行く。」
としっかりと頷きました。
私は右手で玲を抱き、
左手で酸素をひいて
保育園に降りました。
たくさんの先生やお友達が
玲を見つけて
歩み寄ってくれました。
玲は笑顔でハイタッチをしたり
「またおいでね。」
と言う言葉に、
「うんうん。」
としっかり頷き、
たくさんの人たちに
「バイバイ!」
と手を振りました。
大好きな先生たちにも
最後ちゃんと会って
お別れをしたんだなって思えるほど、
本当に驚く行動でした。
そして、そのまま
3人で少しお散歩をしました。
私が玲を抱っこして
凛が酸素を引いて
3人で歩きました。
「玲が大好きなミルクティーの
   お歌うたって!」
そう言われて、
福山雅治さんの milk tea を歌ったり
「玲と凛が小さい頃   
   言えなかった言葉教えてー」
と言われて、
「凛はボクシングのこと"ボシクンビ"
   って言ってて、玲は"ドレッシング"って
   言って、2人とも言えなかったんだよー」
そんな他愛もない話をしながら
3人で笑って歩きました。
その頃、苦しくて本当に
1日に数えられるほどしか
笑わなかった玲が
ケタケタ声をあげて
体をよじらせて笑ってくれました。
それを見て凛も
「玲かわいいね、かわいいね!」
と何度も微笑んでいました。
このたった9時間後、
玲はお空に帰ってしまうけど
私にとって、この時間が本当に
愛しくて優しい時間で、
玲が声をあげて笑っている姿は
このときが最後になりました。
いつもいつも
どんなに覚悟をしているつもりでも
そのときに "これが最後かも"
なんて思えずにいました。
"どうかまた、次がありますように"
いつも そう心の中で願っていました。
だけど、新しい玲の記憶が更新されなくなった
私の頭の中は、玲の "最後" でいっぱいです。
もともと水遊びが大好きな玲は
1日に何度も入りたがるほど
お風呂が大好きで、
温泉やプールも大好きでした。
だけど治療中は感染予防のため、
カテーテルを厳重に防水テープで保護して
お風呂に入らなければいけません。
玲はそれが嫌いで、治療中のお風呂は
いつも最小限、最短ですませていました。
「また元気になって
  カテーテルさん抜いたら
  お風呂に入りたい!」
「プールに行きたい!」
「おっきい温泉にも行く!」
いつもいつも病院で
そんなことを約束していました。
だけど結局最後までカテーテルは
抜くことができませんでした。
そのおかげで、頻繁な採血や輸血も
痛い思いをせずに こなせたし、
結果的に必要だったと感謝もしているけど…
最後に玲とお風呂につかって
遊んだのはいつだろう?
と思い返したとき、
正直思い出せません。
きっと再発が分かって
再び入院する前なんだろうけど
どんな風に入ったのか、
どんな会話をしたのか
全く思い出せません。
そのときは、これが最後だなんて
全く思っていなかったので。
他にも、最後に玲が
元気に走り回っていた姿は
いつなんだろう?
思いっきりお腹いっぱい
食べられていた最後の食事は?
最後に「さや」って呼ばれたのは?
いつもいつも、
これが最後だなんて思わないから
記憶が曖昧だったり、
悔しいけど思い出せないこともあります。
だけど、あのお散歩で
私の腕の中で笑い転げている玲の姿は
凛も私も一生忘れないだろうなって思います。
その数時間後から
少しずつ容態が悪くなって、
まだここに書けていない 
最後のときがやってきます。
あの玲と私の最後の戦いが
私の中でやっぱり1番
消化できない苦しい時間です。
今でも思い出すと
怖くなって苦しくなって
あのときの不安や恐怖、
玲の表情や、息遣い
言葉や、最後の力…
そのとき私が思っていたこと、
後悔していること…
全部全部、鮮明に思い出してしまいます。
急変する恐れがあることは
充分わかっていたし、
あの肺の状態では
幾分、仕方ないことだったかもしれない。
あれが最善だったかもしれない。
それでもやっぱり我が子の最後を
穏やかな最後なんて思うことは
できなくて…。
全ての治療や、看病をやり切った!
という想いの中でも
やっぱり消化できません。
だけど、それと同じくらい
あの穏やかなお散歩の時間が
私の心の中に強く残っていて
苦しくなると、あの愛しい時間を
思い出すようにしています。
大げさかもしれないけど、
あのお散歩の時間がなかったら
今、私はもっともっと
苦しかっただろうな…
とさえ思えるほど、
あの時間に支えられています。
玲、本当にありがとう。

大好きなプールや海

とにかくいつも走っていて

高いところに登りたがりました。
本当にヤンチャで元気な男の子でした。
外泊の日は、車までの猛ダッシュ。
嬉しそうな後ろ姿が
いつも本当に可愛くて
何枚も何枚も写真撮りました。

逆隔離が解除になったら
おきまりのコンビニデート。

点滴台も押せるようになりました。

今でも病気に行けば
元気に走り回っている玲に
会えそうな気がします。

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今年の甲子園はやばいです。

んもーっ!
ハラハラドキドキ。
そして、もれなく泣ける。
もともと涙腺弱いんですが、出産後はさらに拍車がかかり、特にスポーツ関係はやばい。
オリンピック、世界陸上、世界水泳、箱根駅伝、ボクシング、キックボクシング、大相撲。
数年前までは完全に選手目線で観てたけど、子どもがうまれてからは親目線で観てしまい、さらに泣けるという。
もし、今バッターボックスに立っているのが息子だったら、、
心臓が口から飛び出そう。
ここまで来るまでの努力もそうだし、16?18歳でこのプレッシャーハンパないな、と。
あ?、明日の決勝が楽しみ。
リアルタイムでは観られへんで録っとく。
 甲子園、いつか観に行きたいな。
アルペン席?。
ちなみに今年、都市対抗野球は行きましたよー。
平日昼間にビール飲みながら☆

やっぱりガイドブックはあったほうが楽しめる!

子連れでプロ野球観戦もしたいな??
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