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私の元夫は難病のため、小腸が激しい炎症を起こして腸閉塞になると、救急搬送になります。

結婚していた時は、かかりつけの大学病院まで運ばれていました。 

病院に着くと、ただちに小腸の動きを止める薬を筋肉注射します。

そして、吐き気を止める薬と、激痛を抑える痛み止めの薬を点滴で入れます。

小一時間もすれば、吐き気はおさまってきて痛みもやわらぎ、やっと地獄の苦しみから解放され、眠りに入ります。

これが普通のパターンなのですが、ある時、とてもひどい症状の時がありました。

救急車を呼ぶ前の段階で、吐いている最中に白目になって気を失ってたので、いつもとは違うと感じました。

病院に着いて処置をしてもらって、病室に入る頃は、普通なら少し落ちついているのですが、その日はまだ苦しんでいました。

「おかしい、吐き気が止まらないし、痛みもおさまらない」 と言って、病室でもゲーゲーしていました。

そんなことは今までになかったので、看護師さんを呼び、症状を話しました。

が、処置をするのは先生なので、看護師さんではどうすることも出来ず、もう少し様子を見て下さい、と言われました。

元夫は苦しそうにしていましたが、吐き疲れと激痛疲れで、意識が朦朧として、コックリコックリしたりしていました。

そのうちに、なんとか我慢出来る程度になったのか、ようやく眠りました。

顔を見ると、吐きまくったせいで、うっ血して腫れています。

目の下には真っ黒いクマが出来ていました。

何か・・・いつもとは違う様子でした。

夜が明けてきたので、私は一旦、帰宅することにしました。

元夫の会社や、自分の勤務先に連絡をしないといけないし、入院準備もあるからです。

病院の外に出ると、太陽が昇る前の、霊的に清浄な時間でした。

その中を私は1時間かけて、トボトボと歩いて帰りました。

”もしかしたら、今回はダメかもしれない・・・” そんな考えが頭をよぎりました。

死ぬかもしれないと思ったのは、後にも先にも、あの時一回きりです。

悲しみに包まれたまま帰宅して、玄関を開けると・・・飼っていたゴールデンハムスターが亡くなっていました。

病院に行くほんの数時間前まで、元気いっぱいだったのに、急死していたのです。

死因がわかりません。

ついさっきまで、ホイールをカラカラ言わせて、楽しそうに走っていたのです。

しばらく信じられなくて、玄関で放心していました。

そして、居間に行って、そこでもビックリしました。

150センチの大きさにまで育っていた、観葉植物のベンジャミンが枯れていました。

こちらも、救急車に乗る前までは、緑色の葉っぱが元気に青々と茂っていたのです。

それが、短時間で全部の葉が黄色に変色していました。

この現象は物理的にアリなの? と思いました。

不思議で仕方ありませんでしたが、どうやらハムスターも観葉植物も身代りになってくれたみたいでした。

元夫は、その日丸一日、死んだように眠り・・・翌日から回復し始めました。

可愛がっていたペットや植物が、身代りになることがあるのですね。

ありがたいというより、悲しい出来事でした。

それ以来、ペットは飼っていません。

ペットの死の話が出たので、供養の話も書いておきます。

祖父母が言っていましたが、動物は ”じかに” 土に埋めてあげるのが一番いいのだそうです。

そうすると、土 (自然) に帰って、循環するらしいです。

ですので、基本的に動物に供養は必要ないと思います。

実際、私もしたことはありません。

動物には動物の、あちらの世界があるようです。

そうは言っても、さすがに土に ”じかに” 埋める時は、ちょっと躊躇しました。

「次は犬か猫に生まれておいでね」 と言って土をかけてあげました。

埋葬してから、2日後に行くと、まだ雰囲気が残っていましたが、10日を過ぎるとキレイになっていました。

その後も、ちょくちょく見に行きましたが、埋葬したところに花が咲いたりして、自然と一体になったんだなぁと感じました。

今はきっと、ちょっぴり進化して犬か猫になって、どこかで可愛がられていると思います。

ペットや植物は、飼い主を思う気持ちから身代りになってくれることがある、という不思議なお話でした。

ポチっとしてもらえると、嬉しいです。 (*^_^*)

ハムスター論

本日のテーマは

嫌われる恐怖症から抜け出せない理由

についてお伝えしていきます。
嫌われるかもしれないって恐怖は本当に怖いですよね。
まるで自分の存在が全否定されたみたい
生きた心地が全くせず、絶望の淵に
追いやられたような気分です。
そうなってしまうと
まるで監視されているかのように周りを伺い
自分は嫌われていないかといつもビクビク怯え
嫌われない言葉だけを選んでは
自分の本音を隠して、どんな時も作り笑いで、
良い人の仮面を被った自分を演じる。
でも自分が我慢すれば
嫌われないんだと一生懸命に我慢して
気疲れしては恐怖から逃れようとする日々。

そんな終わりのない地獄のような日々。
「なぜ自分はこんなにも頑張っているのに
全く報われないんだ。」

いつもそう思っていました。
頑張っても頑張っても
周りの人気者のように馬鹿騒ぎをするどころか
嫌われないように隅でそれを見ているだけ。
いつも好かれたい想いは満たされず
フラストレーションが溜まってばかりでした。

でも僕は
昔からずーっと不思議に思っていることがありました。
それは

嫌われたくないと感じても
「悩む人」と「悩まない人」がいるのはなぜだろう?

ということです。
あなたも一度ぐらいは思ったことがありませんか?
なぜあの人は嫌われることを気にしないのに
自分はこんなにも嫌われることを怖がって
ビクビクと臆病になっているんだろうって。

いつも顔色ばっかり伺って
誰からも嫌われない言葉だけを選び
自分の本音を隠しながら、良い人を演じる。

そんな監視されたような日々。
そんな時僕は決まって

「あの人は好かれているからしょうがない」
「あの人には勇気があるから平気なんだ」
「自分は勇気がないからダメなんだ」

なんて言葉で自分を納得させていました。
でも実は違ったみたいです。
なぜかというと

嫌われることを恐れない人に
「嫌われることって怖い?」って質問すると

必ずといって良いほど

「もちろん嫌われることは怖いし嫌だよ。
でもしょうがないじゃん」

と答えが返ってきます。
なので

嫌われることを恐れない人でも
嫌われたら嫌だなということは感じるそうです。

では一体全体、嫌われることを
「恐れてしまう人と」と「恐れない人」では
何が違うのでしょうか。
その違いとは

『嫌われてはいけない』という思い込みを
「持っている」か「持っていない」か

『だけ』の違いだったんです。
「~しなければならない」と強い思い込みを持っていると
それが足枷となって、嫌われない行動を取ってしまいます。

ただ嫌われないように目立たず
本音を出さずに生きて満足の人はそれでもいいと思います。
ですが

嫌われる恐怖で悩んでしまう人は
「嫌われたくない」という気持ちと同時に
好かれたいという願望を持っているのです。

そうなると厄介です。
「好かれたい、もっと素のままの自分でいたい、
本音を出したい、仲良くなりたい」

でも

「嫌われたくない」

という想いが入り乱れ、
緊急性が高い恐怖に感情を支配されてしまうのです。
そうやって

「誰からも嫌われてはいけない」という想いがあると、
誰からも嫌われていない自分を想像します。

その想像は、1mmも相手が不快になっていない絵が
頭の中でイメージできます。
だからこそ

少しでもそのイメージとかけ離れてしまうと
自分を責めて自己嫌悪に陥ってしまうんです。
そうやって

減点方式で生きてしまうと

生きることが本当に辛いんです。
例えば

誰からも嫌われていない自分が0点の基準だとします。
しかし

生きる上で相手が疲れていて無表情など
「もしかして自分は嫌われている?」と思う場面には
どうしても遭遇してしまいます。

そうなった場合、

「自分は嫌われているのかもしれない。
だから100点の自分には程遠い、、、
やっぱり自分はダメな人間なんだ、、、」

のように、

自分にダメ人間の烙印を押し、
「-1点」と自分の評価を減点してしまうんです。

そして

そんな場面に遭遇すればするほど減点してしまい、
ついには自分の評価がマイナスだらけになってしまいます。

そうなると今度は
「こんなダメな自分を好きになってくれるはずはない」
「好かれてはいけない」と思い込み、

とにかく嫌われないように嫌われない自分を演じ、本音を隠して、
他人の顔色ばかりを伺いながら生きるようになってしまうのです。

こうして嫌われ恐怖症が誕生します。
そうなってしまうと
優先順位を正しく判断できなくなってしまい、
自分の望む未来へ繋がらないことに力を費やしてしまい、
どんなに努力しても望まない現実に嫌気がさすのです。

例えば

相手を殺してしまうような恐ろしいハチ(嫌われる恐怖)に
森で遭遇してしまったとします。

ただそのハチはこちらから刺激しなければ
一切襲ってきません。

なので、ダッシュで逃げようとして
臨戦態勢を取らせないようにゆっくりと
対処すれば襲われる心配はありません。
でも早く逃げなければ襲われてしまうかもしれない。

その恐怖を感じてしまうと、分かっていても
「早く逃げなければならない」と思い込んで逃げてしまい
余計にハチに追いかけられてしまう結果を招いてしまうんです。
その結果、

本当はハチに刺されずに穏便に済ませたいのに
恐怖に支配されてしまい
ハチに刺されてしまうという最悪の結末で終わるのです。

このように本来、望む未来はあっても

「~しなければならない」という思い込みがあると
恐怖で本来の目的を曇らせ、
優先順位を正しく判断出来なくしてしまうんです。

ハチの例もそうですが、そうなると悲惨です。

イメージとしては、ハムスターの回し車です。
どんなに一生懸命走っても
一歩も前には進みません。
しかし

優先順位が判断できなくなると
冷静に降りて
進めばいいということすら
分からなくなってしまうんです。

そうやって本当は自分がどうしたいのかすら分からず
目の前の恐怖を避けるために走り続けてしまいます。
そして

前に進まないことに
なぜだろうと考え

「自分の努力不足だ」
「自分の勇気が足りないんだ」
「自分には才能がないんだ」

と落ち込んでいきます。

それでも諦めきれず、一生懸命走ります。

でも

どんなに自分を責めて奮い立たせながら
頑張って走っても全く一歩も進みません。

やがて自分のせいだけでは耐えきれなくなり、
人のせいにしてしまいます。

そして

こんなに頑張ってもダメなのは

「学校や親の育て方のせいだ」
「理解してくれないあいつのせいだ」

そうやってなんとか自分の心のバランスを取ろうとします。
しかし

こんなことを繰り返して
どんなにヘトヘトになって走り続けても
結局現状は変わりません。
ついには

どんなに頑張っても欲求が満たせず
フラストレーションが溜まりに溜まって
自分や他人を傷つけてしまうのです。

ではなぜ僕たちはこのような
「~しなければならない」
という呪縛に囚われてしまうのでしょうか。

だいたいの場合は耐え難い不快感情を感じた
過去の恐怖体験やトラウマにあります。
ノミの話をご存知でしょうか。

普段は1m以上飛ぶノミを
高さ30cmほどの虫カゴに入れてフタをします。

するとノミはいつもと同じように
勢い良くジャンプします。

しかし

1m飛ぶ勢いでジャンプすると
天井に思い切り頭をぶつけてしまいます。

それでも何度も飛ぶうちに
思い切りジャンプすれば痛いことを学習します。

そんなことを繰り返しているうちに
ノミは天井スレスレまでしか飛ばなくなるのです。

面白いのはここからで
そのノミを虫カゴから出してあげると
フタがないにも関わらず

フタが閉められていたスレスレの高さまでしか
ジャンプすることができなくなっているんです。

もちろん元々1m以上飛べるノミなので
1m飛ぶことは余裕です。

また今はジャンプを邪魔するフタもありません。

それでも飛ぶことは出来ないんです。
その理由は、

自分で心理的なフタをしてしまっているから

なんです。
つまり

あなたも同じように飛ぶことが出来たんです。
でも

過去に感じた否定や見捨てられる不安がフタとなり、
もう二度とその恐怖を感じたくないと
フタに当たらないように飛ぶようになり

本当は高く飛びたい(好かれたい)のに
フタのギリギリまでしか飛ばない自分にイラ立ち
自分のことを責めることで心のバランスを取ろうとするのです。

それを続けているとそれは癖となり
肩こりのようにどんどん筋肉が硬くなって
色々な箇所に問題が生じてくるんです。
ではここまでをまとめます。

嫌われる恐怖は多かれ少なかれ誰でも抱きます。
でもそれで苦しむ人は
自分を『~しなければならない』という鎖で
がんじがらめにしているから苦しみがずっと続いていく。

そうなってしまったのは
過去の恐怖や不安から逃れるため。

そうやって「~MAST TO」の鎖で縛ると
理想の自分から減点方式で生きることになり
常に自分の評価が下がっていくばかりなので
自分をどんどん嫌いになっていく。

そして

嫌いな自分、ダメな自分が好かれるには
ますます「~しなければならない」と思ってしまい
より悪循環へと陥ってしまい、そこから抜け出せなくなる。
なので

その状態を抜け出す方法は

『~しなければならない』という目で見ている色眼鏡を
新しくかけなおしてあげれば治るのです。

ぜひそのことをまず知って頂けると嬉しいです。

解決法については今後また随時発信していきます!
もし何か質問や
こんな悩みを持っている
ということがあれば

コメントやメッセージを
お待ちしております。

「今回の記事良かったです。」
という一言だけでも
結構喜びます。

ではぜひお待ちしております。

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