記憶 シンプルだけど、凝っている。
楽屋に入ると、ニノがひとりで背中を向けて座っていた。後ろから覗くと、トランプをテーブルの上に広げて睨んでいる。
「なに?新しいマジック?」
「うわっ、脅かさないでよ」
俺が入ってきたのも気付かなかったみたいだ。何をそんなに真剣になって、カードを見てたんだか。
「マジックじゃなくてトランプ占い。この前共演した女優さんがマジック見せたお礼に、って教えてくれたんですよ。これが結構 面白くて… 大野さんも占ってあげましょうか?」
ニノにしては珍しく饒舌だ。なんだか怪しい。
「今のは 何を占ってたの?」
「これは… 練習ですよ。大した事じゃない」
トランプで占いか。マジックといい、占いといい… 何でも出来るな、こいつは。そういえば、俺の考えてる事もよく当てるんだよな。俺のちょっとした表情の違いとかもすぐバレるし。たまに頭の中読まれてんじゃないかと思う時もあるし。
… 昨夜の記憶が、ふと蘇った。記憶とも言えない、ふとした瞬間に浮かんだ一瞬の映像みたいなもの。
この、薄茶色の。
「なあ ニノ… お前、俺に魔法とか かけてないよな」
「はあっ⁉︎」
びっくりした顔で、俺を見た。次の瞬間、爆笑する。
「なんなんですか、それ… 面白すぎなんですけど」
「そんな笑わなくても… ちょっとそう思っただけで」
「俺が?大野さんに魔法をかけた、って?」
まだ笑ってる。そんなに可笑しいか?
「うるさいな。いいよ、もう」
「本当に… あなたは何を言い出すのか想像がつかないから」
「もういいって」
「… 俺にそんな裏ワザがあったらとっくに使ってますよ」
「え?」
「何でもないです。それよりそんなファンタジーな言葉が出てくるから妖精だとか言われるんですよ」
「は?妖精って?」
「あなたの恋人がそう言ってましたよ。臆面もなく」
「… 翔くん?」
「それ以外誰がいるっていうんです」
ニノの言ってる妖精の意味はよく分からなかったけど。どうせ俺のいない所だと適当な事言って笑ってんだろうし。
「せっかくだから、占われてやるよ」
「偉そうだなあ」
苦笑いしながら、カードをきっていく。プロのマジシャンみたいに手の平の上で自由にカードを動かして。まるでカードがみんな、ニノの言うなりみたいにおとなしく整列する。
「で、何を占わせて貰いましょうか?」
「ん… と。そうだなぁ… 」
自分自身の事はあんまり興味もないし。それより。ほんのちょっと気になってた、朝の。
「じゃあ、翔くん占って」
カードから目線を上げて、ニノがちらりと俺を見た。
「… そうくるとは 思わなかったな」
独り言のように呟いて、カードを並べ始める。俺には分からない法則でカードを1枚ずつ取っていく。最後にカードが2枚残った。ダイヤの4とハートの3。カードを見つめたまま、ニノは何も言わない。
「ニノ… ?」
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大学病院を無事退職した佐藤。退職してすぐにクリニックへの勤務が始まりました。 母親がクリニックに勤めていたため、ある程度はどんなものかわかっていたつもりでしたが私の母親は病床ありの規模がやや大きめのクリニックで働いていたため私の勤める小さな小さな町のクリニックはそれとはまた仕様が違いました。(これは私の勤めるクリニックでの話であり、全てのクリニックに当てはまるわけではありません。) 勤務初日は… 朝一番に院長の奥さんに案内され、緊張しながらもスタッフ5人と無難に挨拶をすませました。初日は業務の流れを見学しつつ、採血や健診などの手伝いをする…といった感じでした。 しかし、いざ採血しようとすると採血する場所に手袋がない。
大学病院では手袋なしの採血なんて絶対ダメでしたが、私の勤めるクリニックでは採血時に使うことはない、とのこと。そして唯一内視鏡の時に使う手袋も全くフィットしない、薄くてシャカシャカしたビニール手袋。最初は「これでやるの!?」と唖然としたのを覚えています… しかし小さなクリニックはコスト面の管理が厳しいところも多く、採血で手袋は使わない、というところも多いそうです。 ただ患者さんには肝炎キャリアの人が少なくないということもあり慣れないうちはかなり怯えていました…(つω-`。) そして私は学生時代~大学病院に勤めている間まで翼状針しか使ったことがなかったため「採血は基本的に直針」というのにも衝撃を受けました。翼状針よりコストの安い直針。しかし不器用な佐藤はこれにも慣れずに苦戦しました… 改めて、大学病院の時は物品にも恵まれていたんだと実感しました。笑 ギャップは看護業務のみならず… クリニックでは看護業務以外でもギャップがたくさん。 大学病院時代は毎日掃除業者が入って綺麗にしてくれていてナース服も毎日クリーニングに出せて、綺麗に畳んで返ってきていたけれど私の勤めるクリニックでは毎日自分たちが掃除やシーツの洗濯をしてナース服も自宅で洗います。 床やトイレをピカピカにしてくれていた業者さんはいないし白くてピンと張ったナース服は自分の管理で維持する必要がありました。 …大学病院がどれだけ至れり尽くせりだったかを感じる部分です。 やはり一番のギャップは… 一番のギャップは、やはりお給料。 夜勤をして、寮に住んでいた私。当時の手取り額は1年目にして24万円程。(1年目で税金がなかったこともあります)光熱費もタダで、毎月実家に3万送り、自分で8万円の貯金をしてもまだまだ買い物ができていた記憶があります。 しかし大学病院を退職した後は夜勤がない上に、社会人2年目ということで税金もかかってきて手取りはなんと14~15万円台に。 築15年のアパートにしたものの、家賃と駐車場代で5万円はかかってしまい1円も貯金できないどころか 毎月貯金を崩していました。 しばらくは貯金もあるし、それでなんとか生活しようと決めたもののあまりに生活が苦しくて、すぐにラウンジでバイトを始めました。夜9時~深夜1時まで出勤すれば1万円。多い時は月に10回ほど出勤して、生活を支えていました。
当時22歳。若いからこそできた生活でした…(今は到底ムリです) そこまでして大学病院を辞める必要があったのか?と思われるかもしれませんが私はそれでもクリニックで働いている方が幸せだと感じていました。 患者が許可なく歩行しようとすればヒヤリハットを書き、転倒すればインシデントを書き夜勤中ずっと不穏の患者にナースコールを押し続けられそんな中調剤された薬の識別コードをひとつひとつチェックし、間違っていないか確認する。 そんな毎日から解放されたことで、少しずつ気持ちが楽になっていったのです。 だからと言って、何事もいいことばかりではないのが世の常。クリニックならではの”つらいこと”が 私を待ち受けていました…。
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それが全然記憶ねーんだよ
終わった過去を過大評価するな。これからの未来を過少評価…