記憶に若者が殺到している件について
記憶が新しいうちに、三女の出産話も書いておこうと思います!
予定帝王切開で産むはずが、その前に陣痛がきて35wで生まれてしまいました。
ではどうぞ〜♪
夕方18時頃、双子をお風呂にいれていました。
まだ1歳にならない双子を、妊娠後期にお世話するのは結構大変でした
双子を産んだ時は陣痛がなかったので、むしろ次の出産も帝王切開の予定だったので、陣痛について調べたりもしておらず_(:3 」∠)_
まだ35wだしこれは前駆陣痛だろうと思っていました。
続きます☆
記憶倶楽部の部屋
『天国』という言葉も『地獄』という言葉もあまり好きではない。そして、年寄りは過去を語るなかれ。そんな事もわかっております
私の中学校時代は、想定外の3年間になりました。世の中そんな事もあるんだって、ただの読み物だと流して下されば
そして、今頑張ってる中学生にちょっとだけエールです
☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️
中学校に入って初めての中間テスト。100人もいるバスケ部が、やっとテスト前の1週間休みに入った。毎日、人数も多いし場所もないから走ってばかり。そのせいもあり毎日クタクタだった。でも、だからと言って定期テストも外せない。早く帰らなければならない。
でも、今日はあの蒼井(あおい)君が告白するって。中1にして身長173センチ、サッカー部の⚽️センターフォワード背番号10番。3組ではクラス総務もしていて、秋には生徒会に立候補するらしい。イケメンの彼が1年生の誰か好きな子がいるから、今日告白するらしいという噂が流れていた。
何しろ、中1生だけで550人いる。クラスは13組まであって、彼は3組。私は11組で顔もろくろく見たことがなかった。でも、誰かくらいは聞いてから帰るか。おっと、その前に16時には閉まる売店にギリギリ間に合って、私は勉強の気合を入れようと、可愛いノートと消しゴムを売店のおばちゃん相手に一生懸命選んでいた。
お金を払って振り向いたその時、目の前に1人の青年が立っていた。え⁉️え⁉️私はたじろいだ。彼は一気に言った。『蒼井哲哉といいます。付き合って下さい』彼は頭を下げたと思う。え〜〜っ😱😱彼はそして、『総務』のバッチだけをとって名札と、この前のサッカー⚽️の新人戦のメダルと、ミッキーマウスの可愛い鍵付きの日記帳をくれた。びっくりしている私に、『あ、これもね❣️』と胸の第2ボタンをブチっとちぎってくれた。それでも私は唖然とし続け、彼は『えっと、これ交換日記。もしよかったら部活の後で、、』とかなんとか言いながら、回れ右して帰って行った。
残念な事にそれ以上の事を覚えておらず、けれども多分、一生分の男運を使ってしまったんだろうと、何にも信じられない気持ちでいた
本当に、私は彼の事を知らなかった。
ただ、どうもみんなの憧れのモテる彼ぐらいしか。自分で言うのもなんだが、既にその頃眼鏡もかけていたし、髪はスクールカットだったし、選ばれた理由が何もわからなかった。
あとで彼は、自分からサッカーをしているグラウンドの先で、一生懸命走ったり、パスして走っているのがとても可愛かったからと言ってくれたけど、それにしても小6の頃のいじめでは足が短いとか言われたし、不思議な気持ちだった。
それから、私もうただ何とか彼に嫌われまいと、テスト勉強、クラブ、彼と唯一一緒の総務委員会など、とにもかくも頑張った。しかし、人間張りがある時は活き活きと頑張れるものだ。ちょっとばかり有名人にもなっていたが、とにもかくも自分の維持に必死だった気がする。
だからといって、交換日記はいつも私のバスケ部が終わり、夏でも冬でも暗くなって誰にも見えなくなるくらいに、校庭の掲揚台に隠れた小さなベンチがあり、そこで彼を待っていた。夕闇迫る校庭の隅で、彼の背中をいつも見ていた記憶しかない。私の頭の中はいつもオフコースとユーミンの歌が回っていて、それはそれで幸せな時間だった。そして1年生が最後のグラウンド整備が終わり、部室に消えた次の瞬間、彼がだだだーっと走ってきて交換日記を渡してくれたり、渡したりしていた。
誰に見られるわけにもいかなかったし、まだまだシャイだから、その間は何の言葉も交わさず交わせず、日記の交換だけが続いた。
しかし、どうしたことだろう。その日記は結構続いたのに、私はしかもこんな性格も変わっていないのに、日記の内容を何も覚えてはいない。今の私だったら日記の方を一生懸命書いただろうがその頃は必要な宿題と、英語の予習なんかしたらもう、クタクタの毎日だった。何よりも彼との関係が続いて欲しい。その事ばかりが先行していた気がする。その為には、彼と同じ高校へ行くこと。これがその時の2人の目標だった。
彼は結局、生徒会に立候補する事はなかったが、サッカー部の主将だか、要となって忙しかった。私のバスケは大してものにはならなかったが、それでも一度始めたものは辞めてはならぬと、1年生の頃100人いたメンバーは20人になっていた。今から思えば辞めればよかったけど、辞めたら将来後悔するし、大人になってロクな大人にならないと思ってしまった。速くなったのは足だけで、実際はボールを持つと、その時のあがり症も手伝って、コートが見えなくなっていた。
テストの成績も毎回順番が出ていたので、550人中50番内でなければ彼と目指す高校は受けれなかった。彼も私も、成績維持とクラブの両立に重きを置き、先の未来へ2人の関係は繋ごうとしていた。
3年生の1学期にようやく3年生はクラブを引退。夏休みから本格的な受験勉強体制に入る。当時、私の町ではYMCAが受験塾の幅をきかせていた。彼と一緒にそこへ入る事にし、まずはクラス分けテストがあった。A・B・Cの3クラスに分けられる。彼と私はCクラス入りを狙った。
クラス発表が終わり、彼と教室のある大型スーパーの屋上の隅で待ち合わせた。不思議な事に、最初とそこの会話だけは覚えている
『どうだった⁉️』『C』『私も❣️❣️』『これでやっと一緒に勉強できる』『うん❣️❣️』『ねえ、もしよかったらコンタクトにしない⁉️』『⁉️』『その方が可愛い』『わかった』『明日から楽しみにしている』『わたしも』
私は嬉しい気持ちを抑えきれず家に帰った。受験勉強なのに、明日からの事を思うと楽しくて仕方がなかった。
そうだ❣️私は帰ってすぐに、母にコンタクトにしたい❣️とダメ元で頼んでみた。いつもは腰の重い母なのに、その日は『いいわよ💞すぐ行こう』と午後からの時間を見てかかりつけの眼科に連れて行ってくれた。
かかりつけの名医のお医者さんは『とうとうそんな気になりましたか。ちょうどいいかもね。その前に念の為に検査しますね』暗闇で彼はいつものように目の検査をした。すると、あれ?あれ?といい顔を曇らせた。そして、念の為、眼底検査をしますと仰った。
コンタクトにした私は可愛いだろうか😍😍😍15歳はそんな事ばかり考えていた。次の瞬間彼は叫んだ。いかん❣️❣️救急車だ🚑❣️
❤️娘の暴露ばっかりしているからね(๑˃̵ᴗ˂̵)💞 人の数だけ人生があるんだよね😘 うまくいかなかった事や、想定外の事件は 人の人生で転ばぬ先
杖にしてね😘😘😘あ、今日のあんまり関係ないけどポチッと😘
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