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記憶力 その遊びのキャリアは、きっと、世界に届く。

記憶力

記憶力で彼女ができました

こんにちは。 今回は、音楽の功罪ついて書きます。 日々、私たちはあらゆる所で音楽を耳にすると思います。都会で路上を歩いているだけで音楽が聞こえ、店に入っても音楽が聞こえてきます。田舎は別として、都会では無音な所を探す方が難しいでしょう。音楽にはロック、ポップ、ジャズ、ヒップホップ、ラップ、クラシック等様々な種類があります。あなたがたは、実際にそれらを聴いてみて、ある曲を好きになったらインターネット上でダウンロードしたり、CDを買うか借りるかしてスマホや音楽プレーヤーに移して、電車で移動している時や歩行時、車の運転時、読書の時等に聴いていることでしょう。音楽を聴くことは単なる趣味と思って軽く考えている人が多過ぎます。音楽が人間に与える影響について真剣に考えたこともないでしょう。それが罠です。知らずに欲望のまま音楽を聴き、あなた自身の心や性格、行動にまで影響を与えることを知らないでしょうし、信じようともしないでしょう。音楽を聴くというのは、現代ではあまりに手軽で身近になり過ぎたので違和感を覚えないのですが、これも罠です。この世において人気を博す音楽というのは、サタンからの洗脳であり、攻撃でもあるのです。私が言いたいのは、すべての音楽がサタンからの物という訳ではなく、サタンからの物が多く、それがこの世では人気があるということです。本来、歌というのは、主なる神への礼拝と賛美にも用いられ、神聖な物なのです。歌は人間に対してなされるものではないのです。聖書はそのように教えていません。 旧約聖書 出エジプト記 15章1節モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し馬と乗り手を海に投げ込まれた。  旧約聖書 士師記 5章3節もろもろの王よ、聞け君主らよ、耳を傾けよ。わたしは主に向かって歌う。イスラエルの神、主に向かってわたしは賛美の歌をうたう。 旧約聖書 サムエル記下 22章1節ダビデは、主がすべての敵の手から、またサウルの手から彼を救い出された日に、次の言葉をもって主に歌をささげた。 旧約聖書 歴代誌上 16章9節主に向かって歌い、ほめ歌をうたい驚くべき御業をことごとく歌え。 旧約聖書 歴代誌上 16章23節全地よ、主に向かって歌え。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。 新約聖書 :エフェソの信徒への手紙 5章19節詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。 新約聖書 コロサイの信徒への手紙 3章16節キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 上記から明らかなとおり、多く歌に関して聖書に記述があり、すべて主なる神に向けられたものです。歌は、人間に向けて歌われるものではないのです。それが今はどうでしょうか。コンサートやテレビのステージ上で人々の前に立って人間に向かって歌い、人間の共感を得ようとする歌詞ばかりで、リズムや周波数等は悪意のあるものが多いです。彼ら彼女らは、お金、人気、名声、地位のために歌っている歌手ばかりではないですか。カラオケというものができ、人々はそのような歌手を真似て歌い、彼ら自身が歌が上手い等と言われたいがために練習したりします。神への賛美に使われるはずの歌が人間とサタンのために使われています。どれだけ嘆かわしいことでしょうか。サタンはこのように歌の在り方を捻じ曲げて神への礼拝にでなく、サタンへの礼拝に用いるようにしました。 旧約聖書 歴代誌下 5章13節ラッパ奏者と詠唱者は声を合わせて主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパ、シンバルなどの楽器と共に声を張り上げ、「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と主を賛美すると、雲が神殿、主の神殿に満ちた。 旧約聖書 歴代誌下 29章25節彼はダビデと王の先見者ガド、預言者ナタンの戒めに従ってシンバル、竪琴、琴を持つレビ人を神殿に配置した。この戒めは主が預言者たちによってお授けになったものである。 上記聖句から分かるとおり、預言者を通じて主は、ラッパ、シンバル、竪琴、琴を持つレビ人を神殿に配置させ、古代イスラエル人たちは主を賛美していました。主が礼拝に使用する楽器を指定されたのが分かります。このように音楽は主が指定された楽器を用いて、主なる神への礼拝に用いられていたことは明白です。そして、天地創造の時にも天使が歌っていました。 旧約聖書 ヨブ記 38章4、7節わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理解していることを言ってみよ。そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い神の子らは皆、喜びの声をあげた。 上記の4節が天地創造についての言及で、7節は「そのとき」とありますが、文脈から天地創造の時の流れを汲み、5~6節の主なる神からヨブを戒めるための質問をされ、天使たちが喜び歌って声を上げていた時に、それらの行為を神がなさったという意味です。つまり、天地創造の時、天使たちが歌っていたということです。主なる神は天地創造という御業をなさっていた時、人間は未だ造られていませんでしたから、天使たちが主を礼拝していたのです。神が人間を造られてからは人間にも創造主である主なる神に礼拝を求められました。堕天使の長であるルシファーは、神よりも上になろうとして同じく自分の言葉に人間を従わせて礼拝させようとしました。主なる神もサタンも人間に求めているのは礼拝なのです。 旧約聖書 エゼキエル書 28章17節お前の心は美しさのゆえに高慢となり栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし王たちの前で見せ物とした。 上記聖句は、過去記事「サタンの本質と大艱難前の霊的備え」でも引用しましたとおり、ルシファーに関する記述です。ルシファーも罪を犯して天から落とされる前は、美しく知恵もあって素晴らしい存在だったでしょう。しかし、ルシファーはそれらを持ったが故に心が高慢になったのです。ですから、いつでも「心」が問題になるのです。実際に高慢な発言や態度をする以前に心の状態が既に問題になっているのであり、神は心の中をも見通されていると過去記事「罪への正しい認識と愛の重要性」でも述べたとおりです。ルシファーのように、美貌と知恵を備える人は、それらを持たない人を見下したり、自分の思い通りに使おうとか、支配しようとか思ってしまう傾向があるでしょう。実際に言葉や態度で表に出さなくても、心の内にそのような気持ちがあると既に罪がある状態です。心
の中から悔い改めなければ、根本的な解決はできません。ただ言葉にしなければいい、態度に出さなければいいと思っているようではいけません。狡猾な悪人はそのようにしているからです。表向きは優しそうで良い人そうに演出しますが、心の中は悪しき企みが隠れており、いつも善人を装っておいて、大事な場面で裏切るような言動をしたり、主イエスの教えや聖書の真理から逸らそうとしたり、引き離そうとします。表立って主イエスや聖書を否定するのは分かり易い悪魔の子ですが、そのような単純な人ばかりではないことに注意が必要なのです。そのような狡猾でずる賢い人が地上の諸教会には溢れています。反キリストは、表向きは主イエスを賛美しているのですが、律法廃止論を唱えたり、偶像礼拝をしたり、拝金主義だったり、聖書を曲解したり、偽福音を言い広める等している実態を私が暴いて弾劾してきました。カトリックは論外であり、正教会もカトリックに似ており、カトリックと対立して正しく見せかけてきたプロテスタントも堕落しており、キリスト教を掲げる多くのカルト宗教が存在しているのは明白な事実です。NWO支配層もまさに庶民である人間の徹底管理と支配を目論んでいると今まで散々述べてきたとおりで、彼らは悪魔の子なので、偽りの父であるルシファーと同じ性質を持っているのです。このことからもNWO支配層やその忠実な家畜がルシファーを信仰、礼拝しているのが分かります。堕天使ルシファーがそうであるように、人間も高慢になると、自分自身に対して礼拝や尊敬を集めようとします。世の偽預言者や偽メシア、偽教師らは主イエス・キリストではなく彼ら自身に注意を向けさせ、彼らの言うことに従わせようとしています。これは悪霊の働きによるものです。彼ら自身では何をしているのか分からないのです。礼拝を受けるのは、創造主、主なる神だけです。天使も礼拝の対象ではありません。正しい天使は人間に礼拝されることを拒んで、創造主たる主なる神、イエス・キリストを礼拝するように言います。礼拝の対象は、天の父なる神と神の御子であって天の聖所で大祭司として執り成しをされ、神と人間の間で唯一の仲介者であられる主イエス・キリストです。罪深いすべての人間は、主イエス・キリストを通してでしか神の御国には入れないと当ブログで何度も申してきましたし、聖書にもそう書かれています。聖書を知らないともっともらしいことを言っている人に耳を傾けて騙されて、その偽善者に従うようになります。兄弟たちよ、騙されてはならない。騙されないために、神を深く知るためにも聖書を熱心に読み、研究せよ。さもないと、神によって滅ぼされるでしょう。 旧約聖書 ホセア書 4章6節わが民は知ることを拒んだので沈黙させられる。お前が知識を退けたのでわたしもお前を退けてもはや、わたしの祭司とはしない。お前が神の律法を忘れたのでわたしもお前の子らを忘れる。  上記聖句には間違いがあるので訂正を入れます。英語では、「My people are destroyed for lack of knowledge; because you have rejected knowledge, I reject you from being a priest to me. And since you have forgotten the law of your God, I also will forget your children.」です。ですから、「私の民は知識不足のために滅ぼされる。なぜなら、あなたは知識を拒んだので、私はあなたを私にとっての祭司であることを拒絶する。そして、あなたは神の律法を忘れ去ったので、私もあなたの子らを忘れる。」と私は訳します。ここでも、神の律法の重要性が分かります。神の律法を忘れたら、あなたの子孫までも忘れ去られるのです。出エジプト記20章で十戒の話でもありました。「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」(出エジプト記20:5)のとおり、神の律法を忘れて守らないと子孫に影響が出ます。もっとも、今の時代はそんなことを気にする時代でもなくなりましたが、だからと言って神の律法を軽視してよいものではありません。もしあなたが神の律法を守らなければ、あなたの子孫どころか、あなた自身の救いもないからです。神の律法の知識不足のために滅ぼされると上記のホセア書の聖句でも書かれています。聖書を複数回通読しておらず知識がない状態を呑気に放置したり、律法を覚えるのも守るのも面倒臭いから律法廃止論を信じれば大丈夫だと言っているような者は滅ぼされます。なぜなら、正しい知識を拒んだからです。そして、聖書からサタンの策略を知ることも重要です。私が新世界秩序(NWO)について警鐘を鳴らしてきたのも、NWO支配層がサタン崇拝者でサタンの手口や目的を明らかにし、あなたがたに賢く備えさせるためです。知識が無いと敵の手口や目的が分かりません。敵がどんな攻撃をしてくるのか分からないと防御のしようがないからです。知らないままでいる、即ち、無知で知識不足だと簡単に滅ぼされるのです。NWOなんて私には関係無いとか、サタンや悪魔なんて目に見えないし存在自体も怪しい等と言っている人は危険です。いつまでもそう言っている人は滅びるでしょう。だから、人間は主イエス・キリストの教えと神の律法、掟、戒めを固く守り、行いを伴う信仰を持たなければ悪魔に食い尽くされてしまいます。サタンの策略にも目を光らせましょう。上記で述べたとおり、サタンは主なる神を真似て、人間に礼拝を求めます。勘のいい人は気付いたでしょうが、私が過去に注意してきた日曜礼拝です。これが一番の問題行動です。複数の過去記事で日曜礼拝をしてはいけない理由について述べてきました。安息日がどうでもいいとか、日曜日に変えられたと主張する者は偽り者です。忘れた方は復習しておいてください。結局、神とサタンの間で何が争われているかというのは、神の律法と人間の心なのです。天の父なる神は、主イエス・キリストを心から信じる神の民に聖霊をお与えになります。そして、神の民は神の力によってまず心から変えられて言動も良い方向に変えられ、神の律法を心に書き付けられて守り、最終的にキリストに近い品性へと造り変えられていきます。反対に、サタンも同じように、世に属する人間たちの心を支配するようになります。サタンに心を支配された人間は、神の律法を無視して罪を犯し続けて罪の奴隷になります。悪いことをしてもやめられず、その内に罪悪感を一切感じることが無くなり、悔い改めや回心ができなくなります。獣の刻印は、悪魔の子としての運命を決定付けられるもので、それを受ける者が多いのです。心の支配権は神のものですが、サタンはそれを奪ってサタンに心を向けさせるのです。サタンに心を奪われれば、サタンを崇拝するようになりますし、異教の偽りの神々を崇拝さ
せたり、あるいは無神論者のような「自分崇拝者」に仕立て上げることも同じことです。とにかく、サタンは人間に神の律法、掟、戒めを破らせるか、主イエス・キリストに対する信仰を放棄させようとします。これが一番の目的です。主イエスに固く繋がっていない人は皆、サタンの餌食になります。 新約聖書 ペトロの手紙一 5章8節身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。 上記のように、悪魔はいつも心に隙がある人を狙い、堕落させ、罪を犯させようとしているのです。その簡単な入口として音楽があります。音楽は人を感動させたり、癒したり、気分を高揚させたりしますね。何故でしょうか。それは音楽が心に干渉するからに他なりません。音は目には見えません。悪魔との戦いは、目に見えない霊的な戦いなのです。目に見えるのはNWO支配層等の人間です。心は、人間の言動の源になるため、サタンは心を狙うのです。主イエスも心について同じことを仰いました。以下は、ファリサイ派の人々に対して主イエスが仰った御言葉です。 新約聖書 マタイによる福音書 12章34節蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。 ファリサイ派のような神に仕えたふりをする偽善者たちは良いことが言えない、即ち、彼らの心の中がサタンに支配されて真っ黒だからです。また、以下のとおり、主イエスは人の口からその人の心にあることが出てくると仰っておられます。 新約聖書 ルカによる福音書 6章45節善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。 そして、マタイ12:36のとおり、人が発したすべての不注意による言葉の責任は裁きの場で問われることになるのです。だから、悔い改めというのは、言動よりもまず心から悔い改めなければいけないのです。そうでないと根本的な解決にならないからです。そして、神を礼拝する時は心からしなければいけません。世の諸教会でなされるような表面的、形式的な礼拝は無意味であり、主イエスは心から悔い改めていないにわかクリスチャンの賛美に耳を傾けられません。サタンが人々の心を奪う手段の一つが音楽です。音楽は、サタンが使う手段の一つであって他にも多くあります。例えば、テレビ、ラジオ、スマホ、新聞、雑誌、アニメ、映画、小説、演劇、ドラマ、心霊術、降神術、霊媒、占い、催眠術、魔術、魔法、ゲーム、アルコール、たばこ、ドラッグ、スポーツ、夫婦間以外の性行為、同性愛、小児愛等で、数え上げたらキリがありません。つまり、この世の物にのめり込むというものはすべてサタンに心を奪われている状態です。家でプレステやWii、スマホでするゲームといったゲーム中毒者やスポーツに熱心になって選手として練習や試合に夢中になって時間を浪費したり、ファンとして観戦やグッズに無駄金を費やしたり等です。ヨーロッパのサッカーファンの過激派であるフーリガンで有名ですが、時に破壊行動に出たりして暴徒化して警察が出動する事態になることも珍しくありません。彼らはサタンに心を支配されているのです。スポーツやゲームを遠ざけることは比較的簡単ですが、音楽は難しいのではないでしょうか。上述したように、外でも自宅でも至る所で音楽を聴く機会があるからです。聞きたくなくても耳に入ってくることもしばしばです。音楽は耳を通り、脳を刺激し、心に影響を与え、一種の催眠術のような効果があるのです。激しいロックは、お年寄りにはうるさい雑音にしか聞こえないという人が多いですが、若者には人気です。これも同じ人間なのに受けとめ方がこうも異なるのは若者が音楽に影響され易いことを示しています。冷静に考えればヘビーメタルのような音楽はうるさいだけで、耳障りなのです。その証拠に、激しいロックのファンを見てみれば、頭を振り回したり、踊り狂ったりして、大声や奇声を上げ、コルナサインをしたり、女性でも露出の多い格好をする者が多く、刺青を入れたり、たばこを吸い、アルコールを積極的に摂取し、時にはドラッグに手を出し、そのようなファンは性的に乱れる傾向が高く、まさに狂気です。第三者目線で冷静に見れば分かることでも、当人たちはその狂気っぷりが分からないのです。彼らは正常な判断力を失い、体が勝手に反応するのでしょう。現代のポップ、ロックやヘビメタといった世に人気のある不協和音を多く含む音楽は、脳にダメージを与え、心にまで影響します。かなり前に、ねずみで迷路実験がなされたことがありました。ロック等の音楽を聞かせたねずみ、クラシック音楽を聞かせたねずみ、何も聞かせなかったねずみの3種類に分け、どのねずみが一番迷路を早く抜け出せるかというものです。この結果、ロックを聞かされたねずみが一番時間が掛かり、かつ、迷路の道の覚えも悪かったのです。また、他の実験ではロックを聞かせたねずみの集団を観察したところ、攻撃的になって互いに殺し合いをしたという結果も有る程です。人間でも同じですね。Rock ’n’ Roll等と叫んで、騒がしい音楽を聴く人の学校の成績や素行が良い人がいるでしょうか。それも幼少の頃からそのような音楽を聴く習慣や環境にあると、必ずと言っていい程、その人の人格形成に悪影響を与えます。学習障害が出たり、記憶力が悪くなったり、結婚もせず未成年ながら性交渉をし、性欲を抑えられずに自慰行為を定期的にしたり、酒やたばこに溺れ、最悪の場合はドラッグに手を出したり、自殺を考えたりするようになり、自傷行為をする者までいます。音楽の持つ影響を侮っていはいけません。世に蔓延する音楽のほとんどは、人の道徳的感性、学習能力、適切な判断力等を奪います。だから、悪影響となる音楽を長く聴き続けると、その人の性格はサタンに近づき、サタンの品性が身に着いてしまいます。ロックで使用される楽器は、ギター、ドラム、ベースが主流です。これらは上記聖句(歴代誌下)に入っていますでしょうか。勿論、入っていません。ドラムというのは打楽器ですが、太鼓はタンバリンのようなもので手で直接叩く物で今のドラムのような物ではありません。神事においては、太鼓またはタンバリンは神を礼拝する音楽には相応しくないのです。そのことも聖書にあります。 旧約聖書 歴代誌上 13章7~8節彼らはアビナダブの家から、神の箱を新しい車に載せ、ウザとアフヨがその車を御した。ダビデとすべてのイスラエル人は、神の御前
力を込めて、歌をうたい、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でた。 上記聖句は、ダビデが神の箱を移そうとした時のものです。律法では、神の箱はレビ人しか取り扱うことが許されず、車に載せるのではなく、レビ人が担がなければいけませんでした。それを破ったので、歴代誌上13:10のとおり、レビ人ではないウザが神の箱を触ろうとしたので主によって打たれました。結局、ダビデはその日に神の箱を移すことを断念しました。後でダビデは「神の箱を担ぐのはレビ人でなければならない。」(歴代誌上15:2)と律法を思い出し、改めました。以下のとおり、その時の楽器には太鼓が外されています。 旧約聖書 歴代誌上 15章28節イスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛とラッパを吹き、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を奏でて、主の契約の箱を運び上げた。 このように、ドラムは論外で、太鼓やタンバリンといった打楽器は、主なる神の神事において奏でる音楽には相応しくないのです。サムエル記上18:6のように、古代イスラエルにて太鼓やタンバリンが使用されたのは戦いに関する場面でした。詩編149:3と150:4にも太鼓があるじゃないかと言う人がいるかもしれませんが、それは場面、場所が違うことを無視しています。歴代誌上は、神の箱に関する神事の場面での主への賛美ですが、詩編はそうではありません。きちんと文脈や場面を理解するようにしましょう。神事の時に打楽器を使用するのは不適切ですが、詩編にあるように平素の賛美時には大丈夫でしょう。 音楽といえば、楽器の演奏のみならず歌もあります。それで思い出されるのは出エジプト記32章です。古代イスラエル人たちはモーセがなかなか下山しないのにしびれを切らして金の子牛を造り、エジプトから導き上った神々だと言い出し、堕落しました。出エジプト記32:18のとおり、古代イスラエル人らは、金の子牛像の周りで踊り歌って騒いでいたので、それを見たモーセが激しく怒って十戒の石板を割ってしまいました。そして、出エジプト記32:25では、民が勝手なふるまいをしたとありますが、英語のKJVの訳では裸だったとあり、淫らな行いをしていたことが分かります。偶像礼拝をすると、そのような行為も誘発することが分かります。また、偶像礼拝だけでなく、淫らな行いを誘発したのは、踊りと歌で騒いだ音楽なのです。映画やドラマ等でも淫らなシーンが出るときは音楽が独特です。音楽というのは本当に人間の心に強い影響を与えるものなのです。音楽に影響されて主の道を踏み外す位なら、何も聞かない方が良いのです。世の人々が音楽を愛するからといって、神の民も不信仰の者や異教徒らと同じように調子を合わせていてはいけません。そうする内に彼らに取り込まれ、主の道を逸れて、神の律法に反する行為をするようになるのです。過去記事「神の律法遵守とサタンとの戦い」をはじめ、複数の過去記事で引用済ですが、それ故、以下のように言われているのです。 新約聖書 ヤコブの手紙 4章4節世の友になることが、神の敵となり、世の友となりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。 富や権力ではなく知恵を主に願って与えられたソロモンでさえも晩年に異国の女たちの影響を受けて異教の文化や習慣に染まって主の道を逸れたせいで、主の怒りを買い、イスラエル王国は南北に分裂させられ、挙げ句の果ては、北のイスラエル王国はアッシリアに攻められて古代イスラエル人10部族を散らされたのです。世の調子や常識に合わせていると必ず道を逸れて、真のクリスチャンにはなれません。サタンは悪魔の子を惑わして手先とし、巧みに操ります。そして、選ばれた民をも仲間に引き込んで惑わそうとするのです。私が設立したネット教会には音楽はありませんが、地上の諸教会はどうでしょうか。世の教会には信者からかき集めた献金等で購入したパイプオルガンといった高価な物を置いて演奏したり、時には他の楽器を用いて演奏したりもしているでしょう。歌詞は聖書を引用したりしていて、もっともらしく見せかけます。主イエスの御名が使われ、詩編等の聖句を引用し、主を賛美しているかのように見せかけます。しかし、その曲調、リズム、周波数等が異なり、聖書よりもむしろ賛美歌という音楽自体に注意を向けさせるように仕向けています。彼らの中には聖書の理解を疎かにし、オルガンの練習に夢中になったり、聖歌隊を結成しては歌うことだけを楽しんだりする者もいます。これが主イエスが求める礼拝の姿でしょうか。サタンは真理の中に致命的な誤りを混ぜます。誤りしかないならば、誰も引っ掛からないからです。歌詞に問題無いように見えても、音楽自体が洗脳装置なのです。教会といっても、ものすごい人数が集まるメガチャーチと呼ばれるような会場では必ずと言っていい程うるさい音楽が流れ、踊り等も行われています。狂気でしかありません。そこに集まる人々は、主イエスを賛美しているのではなく、音楽や踊り自体を楽しみ、騒いでいるだけです。そして、家では聖書をほとんど開かず、聖書研究もせず、世俗的な娯楽に興じてばかりいるでしょう。教会という建物に集まって、うるさい音楽を流して虚しく歌って騒いでいるだけで、神に仕えている気になっています。しかし、実際には彼らは神に仕えておらず、主イエスからも知らないと言われるような人ばかりです。私はこのように言うことで音楽を全否定しているのではありません。ただ、世で用いられる音楽のすべてが有益とは限らないということが言いたいのです。音楽が洗脳装置であることについて、参考までにこちら(Naverまとめ)を確認されるとよいでしょう。身近にある音楽、人気のある音楽、街中で耳にする音楽のほとんどは洗脳装置でしかありません。この世では悪意のある音楽が意図的にもてはやされ、人々に悪影響を与えるために広告や宣伝をして広められます。しかし、音楽には人間の心に影響を与える力があり、それが正しい物であれば正しい効能をもたらします。聖書にも音楽の良い効能についての言及があります。 旧約聖書 サムエル記上 16章23節神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。 上記聖句から分かるのは、歌(歌詞)が無いということと、竪琴が使用されて音のみであるということです。竪琴というのは英語ではlyreです。読み方はライアーです。音が似ていますが、liar(嘘つき)ではありませんよ。例えば、以下のようなものです。 画像引用元: http://www.margotton-lutherie.com/lyre%20d 実は、竪琴は聖書の創世記4:21に笛と共に出てくるのが最初であり、ものすごく
い歴史を持つ楽器なのです。弦の数や形状も様々ですが、弦数は昔は多くなかったと思います。たまに古代ギリシアの楽器だと嘘を書いているのがありますが、ノアの時代よりも前にあるので正しくないことは明白です。竪琴はあまり身近には無く、広く普及しているとはいえません。ピアノを弾く人は比較的多く、本格的なピアノが自宅にあるという人もいれば電子キーボードがあるという人は一定数いるでしょうが、竪琴を持っていて奏でることができる人はすごく少ないと思います。誤解していただきたくないのは、竪琴を用いた音楽なら何でも安全という訳でもありません。上記リンクでもあるように現代の音楽基準である周波数が440Hzではなく、432Hzの音楽が良いと思います。神以外のものを絶対視したり、頼りきりになるのはいけませんが、歌なしで432Hzに調律した竪琴を用いるとダビデが奏でた音楽のように悪霊を離す効能があるかもしれません。しかし、演奏者や作曲者にもよるでしょう。悪魔崇拝者が作曲したのなら、何らかの罠が仕掛けられている可能性があるからです。ところで、Hz(ヘルツ)は、1秒あたりの振動数を指します。440Hzと432Hzでは、毎秒たったの 8周波数の小さな違いでしかないのですが、脳や心に与える影響はまったく異なります。チューニングは、ラの音を基準とし、これを音楽業界ではAと呼んでいます。1939年にロンドン国際会議と1953年アメリカでISOによって、国際基準周波数としてA=440Hzと制定されました。この規格は、1910年にロックフェラー財団の資金提供を受けて提案されたものだったのです。ISO標準規格とするまでは世界中の国毎にAの音が異なっていました。世界的に統一の基準を定める話になり、国際標準となる規格制定に当たり、ロックフェラー財団の提案が採用され、A=440Hzとなったのです。A=440Hzの音は心理的に作用し、ストレスや病気を作り出します。20世紀初頭ではテレビやラジオといった放送メディアの黎明期に、音の影響力についての研究への支援を行っており、音響による大衆の心理操作を目的としていたのが分かります。このようにすべては仕組まれているのです。それを知らず、テレビやラジオ、音楽プレーヤー、スマホ等から440Hzの音を聴き続ければ、常にイライラしたり、短気でストレスが溜まり、心に余裕が無くなり、他人に優しくなれないでしょう。だから、世の物を愛してはならないと聖書は教えてくれるのです。もう何度も申していますが、サタンは真理を装いますが、誤った方向に導くのです。A=440HzとA=432Hzのどちらの周波数の音楽があなたにとって心地良いか、アコースティックギターではありますが、こちら(YouTube)で聴き比べしてみてください。また、A=444Hz(C=528Hz)が遺伝子修復という謳い文句を掲げて良いと言う人もいるようですが、実際は、A=444HzにしてもC=528Hzにならず、私は良いと思いませんし、好きではありません。実際、444Hzの音は動物が嫌がるとか、人間の脳にも悪影響が出ると言っている人もいます。私は、432Hzが柔らかい印象でくつろぐ感じがするので、それが音としては最も良いと思います。あとは、主イエスに従順である人が作曲した音楽で竪琴で演奏するならさらに良いでしょう。もし、あなたが音楽が好きで聴いているなら、あなたが持っている曲を432Hzに変換して聴き比べてみたらいかがでしょう。きっと432Hzに変換した方が良いと感じるでしょう。432Hzが良い根拠として水に対する振動を見れば分かるとも言われています。以下のようにです。 画像引用元: http://oka-jp.seesaa.net/article/416393394.html そして、肉なる人体も半分以上は水で構成されています。ということは、音楽の周波数が上図のように私たちの肉体にも同じような影響があるということになります。どちらが良いか一目瞭然でしょう。上記画像引用元のサイトも一読してみると興味深いでしょう。音楽が当記事と聖書を読んで侮れないのがよく分かったと思います。是非、もっと音にも敏感になってください。もし、音楽が生活の一部なら、どんな音楽を聴くのかというのをよく吟味されると良いでしょう。音楽ばかりに夢中になって、聖書の真理を知ることを蔑ろにしないでください。音楽は、おまけの位置付けに過ぎません。たとえ絶対音感があっても、様々な楽器を演奏できる能力があっても、作曲と作詞する能力があったとしても、主イエスと聖書の真理を軽んじては滅びるだけです。音楽は主イエスによる救いにおいては重要ではないからです。神を第一に愛して最優先にし、隣人を愛し、聖書を研究して、そして神の律法、掟、戒めを守り、主イエスに対する信仰を固く保ち、神の御心を行うことが最も重要なのだということは絶対に忘れないでください。 手遅れになる前に聖書を読んでこれまでの言動と心の中をも改めて、万物の創造主であり、唯一の救い主(メシア)であられる主イエス・キリストに立ち返りなさい。主イエスへの信仰と、キリストの再臨という希望と、愛を持って完全な者となれるように日々大切に生きましょう。私は一人でも多くの人が救われることを願っています。
以上

ニコニコ動画に「記憶力喫茶」が登場

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