カレーライス 走れ!家族の好奇心!
◆8月23日上野夜
歌奴『提燈屋』/はん治『妻の旅行』/笑組/燕弥(交互)『夏泥』/百栄(交互)『ヴァイオレンス桃太郎』(という題名だったと思うが性格ではない)//仲入//ゆき(「大空と大地の中で」を頭で弾いた)/雲助『町内の若い衆』/楽一/甚語楼『死神』
★甚語楼師匠
神無月にも「留守神」という「家についてる神」が必ずいるという話から、「貧乏神は身をも離れず」の句は初耳。主人公はグズ気味でかみさんは「うどんで首をくくって死ね」「自分で自分の目を噛んで死ね」と言い放つ恐妻。「楽に死にたい」と主人公が「木に登って飛び降りるか?それには高過ぎるなァ」とボヤく件は前に聴いた時にはあったかしらん?。死神は少し田舎臭い年寄り。喪黒福蔵風のユーモラスな面がある。主人公の「死神と立ち話なんか出来るか!」も可笑しい。死神の教えてくれる呪文は「あじゃらかもくれんきゅうらいす、松居一代はどうなった、てけれっつのぱァ」と至って馬鹿馬鹿しい。主人ン港が死神の勧めるまま、医者を始めようとするとかみさんは呆れて子供を連れて出ていってしまう。患者のうちの使いが訪ねて来ても主人公が「医者医者、今なったばかりだから忘れちまった」「あっしが先生、何かすいません、気持ちは分かります」といったりするのは面白い。「医者というより石屋にしか見えない」は他の噺家さんも言うセリフ。患者を診た主人公が「三年患ってるの、しぶとい爺だなァ」と言うのも可笑しい。患者が三年間に診て貰った医者の名前が「落合祭場」「青山霊園」というのは初耳。呪文を主人公が唱えると、アッという間に患者は治る。「薬が欲しい」という患者のうちの者に主人公が「あのね、そうね、煎じるより茹でた方が早いかも」と曖昧に返事をするのも可笑しい(甚語楼師匠は「曖昧な可笑しさ」が似合う)。主人公は患者が直ると直ぐに「鰻丼でも食べさせなさい」と言うため、長患いしている患者の近所の鰻屋も繁昌すると平然と言うのが可笑しい。主人公は女抜きで二、三年遊んで、また貧乏に戻ってしまう。訪ねて来た桔梗屋利助の使いを借金取りと間違えて、「魚屋さん?」というのには笑った。「(患者を)三日(寿命を延ばせば)で五千両」(無茶苦茶な金額である)と言われた主人公が「だったら、三日前に来てくれればいいのに!」と嘆く様子が可笑しい。「(死神も)やっぱりどっか疲れてくるんでしょうか。昼になると寝込んでしまう」というのは「地」の科白だが、何処か死神の間抜けさを感じさせる。死神を追っ払ってしまった主人公の前に追っ払われた死神が現れたので、主人公は「大恩人ですよ」とあいさつするが、死神は「(お前が患者を助けたおかげで)成績が下がって下、手すりゃ来年で契約を打ち切られちまうかもしれねえ。他の死神と取り替えられちまうかもしれねえ。これを”死神交換”」は以前にも行っていたギャグ。蝋燭の灯された穴の中を死神曰く「俺の職場だ」は初耳。主人公「細く長くまとまってるの(蝋燭)は?」死神「噺家の蝋燭だ」主人公「中々死なないもんなァ。細く長く」という遣り取りも面白い。自分が患者の寿命と自分の寿命を取り換えてしまったと聞いた主人公の「エッ?!」は素晴らしい。死神が「言おうと思ったのになァ」も実に可笑しな科白。蝋燭が点いたのに喜んで「パアッ」って自分の溜め息で消してしまい、バッタリと倒れるのがオチ。
★雲助師匠
「丸い玉子も切りよで四角。物も言い様で角が立つ」と言って
ら、「天丼の上と並」のマクラを振って本題に。主人公の「(うちなんて)はばかりでカレーライス食ってるようなもん」の科白や、袖をパタパタさせて歩く姿が雲助師匠らしくて面白い。細かいギャグの塊のような噺だから、主人公がかみさんを称して「野良犬がけつっぺたを蹴っ飛ばされて寝てるみてェ」と形容したり、かみさんが主人公の「感心バカ」ぶりを「始発の電車は朝早い」と感心したるとからかったり、「電気の球が切れて、夜になると隣のうちの電気が頼み」等といって、夫婦喧嘩をする件が馬鹿馬鹿しくていい。かみさんの「この所、ご無沙汰だけどさ」は雲助師匠の好きな「意味深な科白」。友達が主人公のかみさんが酷いのを称して「あいつが今まで生きてたのが不思議なくらい」も可笑しい。友達が主人公のうちを訪れて何もないのに呆れて「何ァ~におゥ」と言ったり、「(うちの中がカラッポなので)ガレージただな」と呆れたりと、終始一貫、馬鹿馬鹿しいのが結構である。
★百栄師匠
いつもの名前のマクラ。平均寿命を越えた客席の話から「落語は頭の中で連続的に物を考えるのが脳に良い」という話。久し振りに聴いた演目である。桃太郎のうちに居座っている犬・猿・雉に苦しめられる爺と婆。やさぐれた犬・猿・雉のキャラクターが可笑しい。「ケーン!」としか言わない「雉の旦那」が「鶏も食い残す黍の団子一つでこき使われた」と犬がぼやく。蔵に隠れている桃太郎は三匹が怖くて仕方ない。婆が気弱な桃太郎を「また、桃に入れて流してしまうぞ」と脅かすので、桃太郎は何とか三匹に出ていって貰おうと説得に当たるが、犬は鬼ヶ島からの帰り、荷車の上でそっくり返っていた桃太郎が酷いという。しかも、「観念している鬼」を女房子供の前で切り刻んだのを見て、「三匹の人格は崩壊した」と居直る。い桃太郎に「ずれ、お伽噺になれば三匹は子供たちのヒーローになる。大体、お前たちだけで鬼ヶ島へ言っても鬼畜と家畜の争いにしかならない」と言われて、三匹は蟹や臼に仕返ししてくると『猿蟹合戦』の世界に立ち去ろうとする。犬「あっちには美味ェ柿が有るってェからな」桃太郎「その柿、一つ私に下さいな」がオチ。
★燕弥師匠
泥棒の小噺から本題へ。小里ん師匠型。泥棒にしては二枚目である。大工はアッサリしたキャラクター。「兎に角金を出せ」と言われてビビる仕科が可笑しい。大工の「それもいいかもなァ」も軽くて良い。「賭場(どば)」は正しい発音。基本的なテクニックが整っているので泥棒と大工の遣り取りが自然に可笑しいのは立派(噺家さんにしては見た目が整い過ぎているのが却ってマイナスしているのかも?)。大工「どうしたって利息って物が付くだろ」、泥棒「どうしてこんなうちにはいっちまったんだろう」、泥棒「俺にだって暮らしって物があるんだよ」「俺はな今日は捕まるような事してねえんだよ」と科白の面白さは昼間の龍玉師匠を遥かに凌いでいた。
★はん治師匠
お客の数に左右されず、絶対に外さない爆笑落語。
★歌奴師匠
トイレに行っていて聴けず。
◆8月23日池袋昼
小はだ『垂乳根』/小はぜ『浮世根問』/馬玉(三朝代演)『鮑熨斗』/龍玉『夏泥』/楽一/春輔『松田加賀』・深川/正蔵『ぞろぞろ』//仲入//三木男『猿後家』/鉄平『大安売』/小雪/三三『南瓜屋』
★三三師匠
小雪さんの片付けに手間取る前座さんの話から、仲入中、池袋は楽屋が狭いので実は高座で着物を畳んでいる話。その仲入中に引き幕をしたから持ち上げて客席いた子供が覗いていたのと目が合ってしまった話。そこから建て替え前の池袋演芸場に上る階段に飾られていた色紙の話から身分制度の話に入ったから一瞬?妾馬??と思ったら?南瓜屋?に入った。与太郎は「日々、汗を流してオフクロの脛を齧っている。齧り尽くしたら伯父さんの所へ来るので宜しく」と言っている呑気な馬鹿者。伯父さんも与太郎の亡くなった親父も八百屋、それも「ひと色物・方角屋」という「一種類の品しか扱わない八百屋」という設定は初めて聞いたかな。伯父さんが呆れて言っている言葉を「そんなに褒めたって」とヘラヘラ笑っている与太郎が可笑しい。「追い込まれた油虫みたいな話だ」「目と目の間をグー(拳骨)で殴る」と与太郎は言いたい放題。与太郎が南瓜の荷を担ごうとしている様子を伯父さんが「顎が上がって物が担げるか!」と呆れたり、「腰を切れ」と与太郎に言ったら与太郎が鉈を持って来たので「鉈を持って来た。止めないけど」と言うのも楽しい。伯父さんが「まず形だ」と言うと与太郎が「商売は形じゃねえ!」と凄い勢いで言い返すのも可っ笑しくてならない。南瓜を担いで街に出た与太郎は「いつの世も間に入る者が馬鹿を見る」というのは普通だけれど、「南瓜は南瓜、?は?」と中島みゆきの歌詞を口ずさんだりするのは地味だけど大笑い。街の人に「(商人は客が)買いたいものを売る」と言われると与太郎が「ヴィトンのバッグ」と呟くのも可笑しい。但し、心底マジにそう思った言葉を発している「柳家本来の与太郎」ではなく、「周りの人たちをからかっている感じ」がするのは一寸疑問。路地で出会った江戸っ子が「路地の真ん中で身動きが突かなくなったため、雄叫びを上げている与太郎に「笑い乍ら、にじり寄って来るなよ」と恐れ戦く(笑)のも可笑しい。江戸っ子が「今、俺が助けてやるから(天秤棒をガタガタ戸にぶつけるのを)止めろ!」と言って止めさせ、天秤棒をかたから外して体だけ回らせると、「路地を広げなきゃ無理だ」と思っていた与太郎が「回れた!」と感激するのも可笑しい。「少しくらい我慢して商いをして来い」と伯父さんに言われて来た与太郎が、江戸っ子に「殴ってもいいけど、目と目の間だけは嫌だ」というのも珍妙。江戸っ子相手に与太郎が「今日だけ五十銭にまけてやるよ。他の人には内緒だぞ」と言ったり、再び「商売は形じゃねえ!」と叫んだりするのも馬鹿馬鹿しくて与太郎らしい。江戸っ子が代わりに南瓜を売ってくれるとと「俺の唐茄子を何処へやった?!」と驚く与太郎も愉快愉快。「(江戸っ子の財布が)膝の上に落ちてる」等、他の噺家さんは語っていない科白。与太郎がヘラヘラ笑い乍ら伯父さんのうちへ帰る様子も可笑しい。伯父さんは最初、与太郎がちゃんと南瓜を売って来たと思っていたが、実は元値で掛値をしていないのに驚いて叱ると、与太郎が「商売を舐めるなよ」と言い返すのも可笑しい。伯父さんの呆れた「夢なら醒めて欲しい」の科白も珍無類。それを眺めていた伯母さんが「二人の掛け合いが面白いわね」と平気で言うので伯父さんが更に呆れるのも笑っちゃうね。与太郎は再び南瓜を売りに出るが「乾いたノドチンコの立場がない」と呟いたり、再会した江戸っ子相手に南瓜を掛値して売るので、江戸っ子に「なんで今度は高くなったんだ?」と訊かれて「諸般の事情」と答えるのも面白い。オチは普通のオチ。
※「軽い噺でハネられるのは師匠(小三治師匠)に似て来たね」と帰り乍ら言っているお客がいたけれど、今年の三三師匠の課題は「軽い噺をどう演じるか?」にあると私は思っている。今日の?南瓜屋?では目白の小さん師匠や小三治師匠の域にはまだまだ遠く及ばない。まァ、私が「軽い噺」を演じる噺家さんの方が好きだというのもあるけれど。
★鉄平師匠
お旦に連れられて相撲取りやプロレスラーと呑みに連れて行かれた話から相撲取りの祝儀や給料の話をマクラにして本題へ(相撲取りの給料がそんなに高いとは知らなかった)。関取が下向きで喋るのでモソモソして可笑しさが前に出ない。「中々、十日覚えるのが大変だ」の本音の言葉には笑っちゃう。「吊り出し」のアクセントが変なのはおかしい。「こんな物、負けたって一敗は一敗です」は馬鹿馬鹿しい(笑)。オチは「丸焼け」の方。
★三木男さん
「真打披露では各師匠の接待が大変」というマクラから本題へ。併し、この噺が好きなのか、よく演るなァ???お世辞使いの源公は最初、番頭に無心をしに来る設定。源公は三下っぽいのがマイナス。今日も矢鱈と早口。源公も番頭も嫌な奴で私は好きになれない。後家さんが変に若いのにも違和感あり。皇居→日比谷→新橋→泉岳寺→上野→浅草と源公は親を連れて歩き回る。仕立屋の太兵衛はお世辞に成功して帰る設定。美人の喩えは小野小町だけ。
★正蔵師匠
「力の入らない人ばかり集めて作った番組」という話から、アメリカでの落語公演で日本人の宗教観を問われた話を経て、八百万神の縁結びの小噺を経て本題へ。出雲で、巫女さんに酌をして貰って付き合い始めた太郎稲荷が、巫女に振られて、荒れ果てた社殿に帰ってくる件から始まる。太郎稲荷が巫女に振られる件は初めて聞いた。「半年前から売れ残っている草鞋が売れますように」と荒物屋の娘が祈る前振りがある。娘の母親は亡くなっている設定。娘が可愛らしいのは相変わらずの長所である。親父はもう少し爺さんでもいいかな。爺さんの「雨だ」は落胆ぶりと空模様が出ているのに感心。草鞋を買いに来た客たちは威勢良く、活き活きとしている。親父の不思議そうな「ホォホォ」客「梟かい?」の遣り取りは軽くて面白い。床屋の親父は偏屈で欲深い(某師匠みたいに偏屈と言うのには笑った)という設定。床屋が荒物屋の天井から草鞋が現れるのを見て荒物屋を訪ね、「御利益」と聞いて社殿を訪れる展開。床屋の親父が脂濃いので、太郎稲荷が中っ腹になるのも可笑しい。オチは言い方が少しクドい。
★春輔師匠
「さっき転んだ時、起きなきゃ良かった」の小噺から、湯上がりの江戸っ子が手拭いを二度叩く理由(首を斬る音に似ているため)。風呂上りに、褌一つで歩いていて八丁堀の同心と出くわしても、手拭いを肩に掛けると「手拭いを着ている」と言って見逃してくれた江戸時代のエピソードから、按摩の身分による杖の違いを振って本題へ。小僧按摩が平謝りしているのに、検校が激怒して打擲する。検校の権高な様子は良く出ている。神道者の松田加賀が仲裁に入る。松田加賀の常識人らしさは出ているが、全体に力み調子なのが気になる。検校が平伏しているのに「如何にも加賀である」と語って見せる松田加賀の上からの態度は面白い。
★龍玉師匠
まだ掠れ声。「夏場に入る泥棒は間抜け」といって本題へ。褌が干してあるから最初は『花色木綿』かと思った。泥棒は匕首で大工を脅かすが、ここで居直られる。語り口が人情噺的なので「切れねえ包丁で首をゴリゴリ」なんて科白が無駄にリアルになるのは感心しない。大工が暢気でなく、圓生師匠が演っているみたいである。泥棒「じゃあいいよ」大工「おめえが金くれんの?」の遣り取りは軽くて良い。大工「これじゃ足らないんだよ」も息が良い。「さあ殺せ!」と叫ばれて慌てる泥棒のリアクションも可笑しい。但し、大工も泥棒も表情を付け過ぎるのが難。泥棒の「悪い奴だな手前ェは!」は面白い。泥棒「無かったら恥かくとこだ」の呟きも結構なもの。少し大仰なのを抑えればもっと面白くなるのでは?
★馬玉師匠
「ございまして」を多用する言葉癖がどうしても気になる。甚兵衛さんは余りボンヤリしていない。かみさんはかなり確りしている。甚兵衛さんの「どうしても駄菓子が食いたくなって山田さんに一銭借りに行った」の科白は初耳。甚兵衛さん「お金」山田さん「ないよ」の切り返しの息は良かった。直ぐに魚屋へ甚兵衛さんが行く簡略化の演出。「鯛」を「金魚の化け物」と言う甚兵衛さんの形容は初耳。甚兵衛さんはどうも「腹が減って辛い」という気持ちに乏しい。馬生師匠を平坦にした雰囲気である。大家は良い人で「この分なら」と斜め上を見る仕科は的確。「お返しの一円下さい」でサゲ。
★小はぜさん
八五郎は「隠居のうちが時分時」と聞いてわざわざ上がり込む。隠居は年齢に似合わず、それらしいが、却って八五郎に元気がない。「お天道様が何処にいるか?」と八五郎は気にする。隠居は「お天道様は丸い物か細長い物か気にならないか?」と八五郎をからかう。この噺で「はばかりだったら高野産」の件を聴くのは珍しい、というより初めてだろう。松竹梅の件も丁寧な都々逸尽くしになっている。「五葉の松」を言うのは珍しい。「紫宸殿の鶴」の件は全くの初耳。鼈甲は亀に肖る・うちの酒呑み婆さんは正覚坊が肖った、という件も初耳(一体誰から教わったのだろう?)。そこから岩田の隠居の「宇宙」の件になると、次第に八五郎が元気になり、明るくなってきて面白くなる。ちゃんと「仏壇」でオチ。
カレーライスの人気に嫉妬
HEPの観覧車を見下ろせるバルコニー席
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