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エヴァで学ぶ社会学

 

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TEL:0563-75-3901(サンキューマルイチ)
営業時間 10:00~20:00 (火曜・水曜定休 日曜日のみ18:00まで)

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エヴァ 生活ごこちを、カタチにします。

《“やつは”メールマガジン(NO.234)》( 2017年8月18日 号 )
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本日の一言 「きっとなんとかなるだろう」
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今日から3日間、8月の八ヶ岳山登り合宿が開催されます。

6月から始まった全3回の山登り合宿もいよいよ最終章。

ついに八ヶ岳最大の聖地である、霊山「権現岳」の山頂(2715m)へ20名以上のグループで初挑戦となります。

団体での予想登山時間は、登りで約6時間、下りで約5時間、頂上の滞在を含めて合計12時間以上を想定していますが、
山登りは何が起こるかわからないので安全だけは十分に注意したいと思います。

自分自身、もう5回目以上の権現岳のチャレンジとなりますが、どの登山も思い出深いものでした。

初めての権現岳登山。

権現岳の登山ルートはいくつもあり、通常は一番楽な天女山という登山口を選択するのですが、自分の場合は最初から間違ってハードコースの観音平という登山口から登り始めてしまいました。

変なところは細かくチェックするのに、変なところは極めてズサンで、特に旅行などが多いのですが、直前の直前までどこに行くのかもあまりわからず、何も予定を決めなかったり、事前に現地のことを何も調べない癖があります。

登山も同じで

「どこから登れって言われたっけ?観音平だったかな??まぁ、どこから登っても頂上まで着けばいいや」

と気楽に考えていたら、登山道によって全然レベルが違っており、観音平からのルートはかなりハードでありました。

おまけにうさと服にうさとカバンという、登山専門家が見たら怒られる格好でしたが、他の登山客からは修行か何かで訪れている人だと思われたのか、すれ違うと「ご苦労様です」とご挨拶されました。

観音平からのルートだと、頂上付近は絶壁の崖のような場所を鎖をつかんで横渡りで進む危険地帯もあるのですが、この日は天気は良くても見事に強風吹き荒れており、こんな時に履いているズボンはよりによってうさとのむささびパンツ。

これはむささびのように広がっているパンツですが、これが見事に強風に煽られて本当のむささびのように飛んでいきそうな状態となりました。

とはいえ、もともと体力はあった方なのでなんとかヘロヘロになりながらも無事に登頂。

ただ、予定時間より遅くなってしまった(ルートを間違えたので当たり前だったのですが)ので、焦って登ったため、膝にかなり負荷がかかって痛みが出ていました。

下山途中、その痛みはかなり辛いものとなり、左ひざが曲げられない、地面につけられないほどの痛みとなりましたが、なんとか片足だけで途中から下山。

「おそるべし八ヶ岳・・・(というより専門家から言わせたら登山をなめているのでしょう)」

そう思いつつも、その2週間後くらいに、ルートを間違えた悔しさから今度はしっかり天女山から再チャレンジ。

「膝の痛みも消えたから余裕かな」

こうして、登山道が閉鎖される直前の11月中旬に再び権現岳に登ったのですが、なんと途中から前回痛めた膝の痛みがまさかの再発。

やがて左足を自力であげられないほど痛くなり、自分の手で片足を持ち上げながら登るという方法でないと進めない状況となってしまいました。

これが前半だったらまだ引き返せましたが、不幸にもちょうど真ん中あたりまで来てしまい、今から引き返すのも大変、もちろん登るのももっと大変な状況なのですが、ここまで来たら引き返すのも面倒なので登ろうと思って、そのまま片足を持ち上げながら頂上を目指しました。

たぶん、この辺の感覚もちょっと一般とずれているのでしょう・・・。

こんな冬直前の時期、それも一般的な登山では超マイナーな山なので、普段でもほとんど登山客がいないのですが、この日も誰とも会わず孤独な山の中。

その中腹で片足が不能となってしまったら、きっと冷静に考えたら「遭難」の二文字の恐怖が出てくるのでしょうが、自分の場合はこういった時の恐怖心のネジが飛んでおり、基本的には生きている限り、意識ある限りは人間どんな状況でもなんとでもなると常に思っています。

それでも、安全を考えて引き返すのが常識かもしれませんが、せっかく来たのでまずは頂上に着いてから帰りは考えようと思い、そのまま後先考えずに登り続けてしまったのです。

そうしたら、なんとか片足でも無事に登頂。これはある意味、普通の登山では味わえない別の達成感があったので、その先はともあれとても充実感に満たされていました。

さて、頂上で休めば少しは回復するかなと思いきや、相変わらず左足は曲げることが一切できず、足をつけるだけでも激痛。

「弱ったなぁ・・・。どうやって帰ろうかな」

さすがにちょっと困りましたが、それでも一歩一歩は確実に動けるので、

「一歩でも動けたら必ずいつかは下山できる」

そういった塵も積もればの謎の信念があるので、それを信じてただひたすら着実に一歩一歩ゆっくり降りていきました。

結局、かなり時間がかかってあたりも暗くなってしまい、さらに悲惨なことに登りに調子に乗ってパシャパシャ写真を撮りまくった影響で携帯電話の電池も切れており、無事に戻ってくるか心配して待っている家族にも一切連絡できず。

当然、遭難したと勘違いされてしまい、知人たちが山に入って捜索する寸前にまで事態が発展したところで、なんとか下山。自力で自宅に戻って騒ぎは鎮静しました。

周囲の人に心配をかけてしまったことは反省ですが、個人的には片足でも人間は高い山に登れることができることを体験して、非常に満足というか、人間の持っている潜在能力に改めて感心してました(当時、心配してくれた人達には本当に申し訳ない)。

でも、自分の中では例え両足が動かなくなったとしても、地面を這いつくばってでも一歩一歩進めるなら、一晩かけても下山できる自信はあり、どんな状況に至っても恐怖に陥るよりは、そのサバイバルを楽しむ傾向があることもよくわかりました。

その後の権現岳登山もいろいろドラマがありました。

あるグループで登った時には、なんとか山頂までは無事に到達したものの、下山を始めてすぐに1人の男性の片足が動かなくなり、それでもなんとかゆっくり降りてきたものの、今度はもう片方の足まで動かなくなってしまって、完全に歩けない状況となってしまいました。

下山まで、まだまだ半分以上は余裕である状況であり、普通ならレスキューを呼ぶケースであったかもしれませんが、この時の自分はとても元気だったので、その
まま男性をかついで下山していきました。

それも自分よりも身長が一回り以上も大きな身長180cm以上の長身の方。

さすがに数歩降りただけで、腿がパンパン、膝がガクガクするほど負荷が大きいものでしたが、これも持ち前の火事場の馬鹿力というものでしょうか、人間の持つ潜在能力を信じて、ただ下山することを確信してました。

すると、不思議と体が軽くなって力も入り、結局数名で交代することはあったものの、そのままかついで下山することに成功しました。

片足登山の成功から、今度は人担ぎ下山の成功。これもまた人間の持つ無限の可能性をさらに確信するものとなりました。

「そういう無謀な人が遭難騒ぎで世間を騒がしたり、周囲に迷惑をかけるんだ」

確かにそういった一面もあるかもしれませんが、大事なのはどんな状況に直面しても、決して悲観的にならず、まずは自分を信じて、そしてその先の未来を信じて今を集中して真剣に生きれば、必ず道はひらける、不可能を可能にすることができるということです。

我が人生もそれなりに色々ありましたが、どんな出来事に遭遇しても、絶望することはなく、むしろピンチをチャンスと捉えて常にプラス転換したきたように思えます。

「大丈夫、きっとなんとかなるだろう」

これが口癖というか、思考癖であります。

時に人は、執着を手放し、良い意味で諦めが必要な場合もありますが、自我(エゴ)は手放す必要があっても、真我と呼ばれる超意識は手放してはならず、常にそこは信じて「委ねること」が重要だと思います。

自分を信じる、自分の可能性を信じるとは、エゴを持つ表面的な個の自分を信じるのではなく、個でもあり全体でもあるエヴァの本当の自分そのものを信じることであり、その自分にすべてを委ねることであります。

「そう言われたって、あなたは特別でわたしなんて・・・」

そうやって自分に自信を持てない人も多くいますが、いつもその言葉を聞くと思うのが、その「わたしなんて」の“わたし”はどのわたし(?)なんだろうかと。

経験上、自分らしく自分の人生を生きている人、それを成功者と呼ぶなら、自分が見てきた人々の中で自分らしく人生を思い通りに生きている人は皆さん共通して、“わたし”が誰かを認識しており、“わたし”にしっかり委ねております。

「自我のわたし」と「真我のわたし」。

その2つの自分がいるのに、本当の自分は「自我のわたし」とだけしか認識しておらず、自我のわたしの意識が自我のわたしだけを認識して、自分はダメな人間、ダメなわたしと思い込んで決めつけています。

そりゃ本体の意識だけでなく、肉体の機能として脳も数%、DNAも数%の僅かしか稼動していないわたしは、全然ダメなわたしかもしれませんが、誰だって100%どころか10%も眠っている機能を使いこなしておらず、その今の不完全状態の自分をすべての自分と誤解しています。

「そんな隠された能力や可能性があるなら、一体どうやって使ったら良いのか?」

使い方は簡単、ただ確信を持って本当の自分を信じていれば自動的に必要な力が必ず発動されます。

使うというより、ただ「あること」を認識していれば、それだけで真我のわたしの意識とリンクします。

「わたしなんて」「わたしなんか」

これは本当のわたしからすれば、自我のわたしの勝手な思い込みと発言であり、一見謙虚な言葉に聞こえても、エゴそのもので、“わたし”に対して大変失礼な言葉であります。

自分に自信がない方、自分自身を信用できない方、どうか自分をそんなに低く見積もらず、低評価にみなさないでくださいね。

自分には無限の可能性があることを是非体感してください。

これは何もサバイバルにチャレンジする必要もなく、そういった行動が重要ではなくて、自分自身のあり方がポイントになります。

真我の自分、個でもあり全体でもある自分、本当の自分が「あること」や本当の自分に隠された力が「あること」をただ認識すれば、きっと自分がもっと好きになり、自分を愛し、許し、受け入れることができると思います。

その自分自身の状態で居られると、自然と何があっても「きっとなんとかなるだろう」という言葉が出てくることでしょう。

ここぞという時、なんだかんだ一番頼りになって信頼できるのは、他でもない自分自身(わたし)であります。

今、色々と困難に立ち向かったり、思い悩んでいることがある人が多くいると思います。

自分だって、日々いろんな出来事があり、時に悩み苦しむことも多々あります。

でも、きっと大丈夫。なんとかなるでしょう。と常に思っていますし、皆さんの悩みも内容はわからずともそう思っています。

魂は、自分で乗り越えられない試練は与えない、選択しないので、今生で起こる出来事はすべて必要・必然・ベストに物事や人生が進むようなプログラムになっていると思います。

起こる出来事の良し悪しをその場だけでジャッジせず、人生のあらゆる瞬間をまずは楽しんでいきましょうね。

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