エヴァ 自然とは、必死に遊べ

エヴァ

脳天直撃エヴァ

ご存知のように、私は、現在、宇宙考古学的な視点から、古代文明を探索しています。

 

そして、全国でも、この内容のセミナーを開催しています。

 

今までに、たくさんの方が、受講されていますが、話を聴いた方たちは、気が付いたと思うのですが、古代文明は、現在の政治や経済に、とても大きな影響を与えているということです。

 

古代と現代は、完全に繋がっているのです。

 

すなわち、現代の国際情勢や軍事などの真相を知りたかったら、古代のシュメール文明などから、遡って考えなくてはいけないといういうことです。

 

 

 

太古の時代、地球を訪問した宇宙人のグループは、たくさんいたようですが、その中でも、一番地球の歴史に深く関わったのは、「アヌンナキ」の一族です。

 

一説によると、「二ビル」という名前の惑星から、50万年前くらいに、地球にやってきたとも言われています。

アダムとイブなどの人類創世にも、関わった神様です。

 

 

「アヌンナキ」の一族の中でも、特に、「天神アン」や「アヌ王」と呼ばれていた、一人の男性の神様から、地球人類の歴史は、始まっているのです。

 

この「天神アン」が、地球の計画書みたいなものを作成して、そのプラン通りに、地球の歴史は動いていたのです。

 

だから、

 

his story(彼の物語)」

 

なのです。

 

この二語を組みわせた造語が、

 

history(歴史)」

 

だということです。

 

「歴史」の秘密は、そのまま文字に表現されていたのです。

 

 

古代の神話や伝説、そして、聖書などに登場する、「神々」や「妖精」などを、「宇宙人」とおきかえて翻訳すると、自然な文章になることが多いそうです。

実際、聖書などで、「神」を意味する、ヘブライ語の、「Elohim(エロヒム)」という単語は、本来、

 

el(天)
「im(人間の複数形)」=「天より地に降りし者たち」

 

つまり、

 

「天空より飛来した人々」

 

という意味で、れっきとした、人間の複数形なのです。

 

「他の惑星から、UFOで、この地球にやってきた人たち」

 

ということです。

 

 

さらに、その中でも、特に、「Anunnaki(アヌンナキ)」という宇宙人の名前は、古代シュメール語で、

 

anu(天空)」+「na(~から)」+「ki(地球)」

 

これも、

 

「天より地に降りてきた」

 

という意味で、全体として、「エロヒム」と、同じ意味なのです。

 

「エロヒム」=「アヌンナキ」

 

だということです。

 

 

シュメール文明、メソポタミア文明、バビロニアなどの単語は、日本では、あまり聞くことはありませんね。

 

太古の時代、現在のイラクのあたりに栄えた文明なのですが、実は、日本とも、とても深い繋がりがあります。

 

それは、現代の日本にも、一番強い影響を与えています。

 

 

現代でも、地球上では、経済活動をするうえで、「紙幣」は、とても便利な道具として、流通していますね。

 

紙幣の歴史は、実は、とても古く、約5000年前の「古代バビロン」まで遡れるようです。

その当時の宗教と深く結びついてできたらしいのですが、バビロンの統治者達が、金銀や土地、穀物などが、「粘土板」と交換できることに気が付き、中央銀行を発足させたのが、起源だといわれているそうです。

この粘土板には、各種の魔術や呪文が描かれていて、そのデザインは、現在のドル札や円札にも描かれています。

そして、最重要なのは、この時代の中央銀行の建物を、そっくりそのまま、現代に復元したのが、日本の「国会議事堂」なのだそうです。

 

そういえば、日本でもなく、中国やインド、ローマやギリシャのデザインでもありませんね。

古代バビロンのデザインの建物だったのですね。

 

 

これは余談ですが、自然界にも、ピラミッドの形があることを、知っていましたか?

下記の写真は、塩の結晶で、「ピラミッド型塩(トレミー塩)」と呼ばれ、日本では、「昔塩」と呼ばれているそうです。

写真の結晶は、いっさい加工なく、自然の結晶だそうです。

ビックリですねー!

全部の結晶が、こんな完璧な結晶ではないそうですが、ピラミッド型が多いようです。

この昔塩は、昔から、神社や皇室に奉納されて来たようです。
マヤのピラミッドを、そのまま、ミニチュアにした形ですね。

最初に知った時、これが人工的なものではなく、天然の結晶というのに大感動しました。

雪の結晶もそうですが、神様の創った、自然界の結晶は、アートですね。

このマヤのピラミッ
ドの形は、強力な浄化作用も、もっているそうですが、日本の国会議事堂の上にも、この形があるのです。
 

 

もしかしたら、一番悪い気が、溜まりやすい場所だから、一番浄化する装置として、このピラミッドを、備え付けているのかもしれませんね。

 
 
 
 
さて、たまには、政治の話もやっておきましょう。
 
ただし、私の話は、宇宙考古学の視点から眺めた政治の話なので、かなりユニークな内容です。
 
何度か書いているのですが、面白いと思うので、再掲載しますね。
 
 
 
「ファシズム」という言葉を知らない人は、いないと思います。
でも、これの本当の意味を知っている人は、少ないと思います。

世の中には、人を支配したがる人が、たまにいます。
そして、その人に、支配される人々がいます。

理由は、たくさんありますが、支配したがる人は、人嫌いの人が多いということです。

いろいろな意味で、強がっていることが多いのですが、心の奥底では、「対人恐怖症」だということです。

つまり、人から支配されるのを極端に恐れていて、その反動で、

「誰かから支配される前に、自分が支配してやろう」

と無意識レベルで思って、行動することが多いようです。
こういう人が、不安などを煽って、人々を支配するテクニックを覚えた時に、支配者となり、支配構造が始まるようです。

これは、宗教団体や企業、そして、国家などでも、よくあることです。

ネガティブな感情をもった人物が、職場の中で権力を持ち、人を支配しはじめる。

こういう人物が、自分の会社のトップだったり、上司だったりすると、地獄の毎日になります。
 

 
大学の頃、「社会学」という講座で、講師が、面白い話を聴かせてくれました。

「皆さん、ファシズムという言葉を、知っていますよね? これは、日本語では、全体主義などと訳されたりしますが、もともとは、イタリア語で、団結という意味です。さらに、ファッションという単語とも語源は同じみたいです」

続けて、

「つまり、皆が、同じ考え方になり、同じ行動をとるようになる現象のことです。全体主義イコール、独裁主義ではありません。同じような意味に、解釈している人も多いですが、独裁者が、しばしば全体主義を利用することが、多かったということなんですよ」

こう話してくれました。

ミニスカートが、ある時期に流行ったり、日本中の女子学生が、突然、ルーズソックスをはいたり、豹柄の服が、大流行したりするかんじで、皆が、ある時期から、同じような言動や行動を始める現象のことを、「ファシズム」というのだそうです。
「ファシズム」そのものは、良いものでも、悪いものでもなく、「中立」の現象だということです。
ここが大切なので、よく覚えていてください、

 
ヒトラーのナチスも、皆が、同じ行動をした、「ファシズム」でした。
 
 
同様に、バブルの頃、皆が、同じように、お立ち台の上で、踊ったのも、「ファシズム」だったのです。
 

簡単に言うと、

「世の中の人々が、同じ価値観を持ち、同じ行動をすると、支配者が、全体を動かしやすくなる」

ということです。
「ファシズム」の中には、

「自然発生的に、生じたもの」

「仕掛け人が、人工的につくりあげたもの」

の二つがあるということです。

現代では、ほとんどが後者だと思います。
さらに、「人工的なファシズム」の中にも、

「善意のファシズム」

「悪意のファシズム」

が、存在しているということです。
たとえば、高級車を製造しようと思ったら、その企業が、バラバラだと製造できません。

こういう場合は、車の品質を向上させるために、その企業の社員の意識や技術などを、統一する必要があるのです。
これは、善意のファシズムです。
反対に、死の商人などが、戦争を起こしたい場合、マスコミなどを使って、二国間に、憎悪をつくり、軍隊などを使って、殺し合わせたりもします。
これは、悪意のファシズムです。
 

付け加えておきますが、

「ファシズム=戦争」

というわけでもありません。

たとえば、江戸時代などは、全国の大名に、参勤交代などを強制したりして、かなりのファシズム状態だったのですが、この間に、大きな戦争は、ほとんど起こっていません。

だから、支配者が、どういう意図で、何のために権力を握っているのかによっても、話は全く違ってきます。

「ファシズム」にも、状況などによって、実は、いろいろな種類があるということです。
大切なことは、自分の思想や行動が、世の中全体に流されていると感じた時には、

「今の世の中には、どういう種類のファシズムの流れが、生じているのだろうか?」

と意識して考えてみると、いいと思います。

 
 
 
最後に、もう一つだけ書いておきます。
 
「ファシズム」という単語で、たくさんの人が思い浮かべるのは、前述もしましたが、「アドルフ・ヒトラー」だと思います。
 
 
1996年の話です。
 
 

当時、私は、「ヴォイス」という精神世界の専門会社に、勤めていたのですが、アメリカから、アームストロングさんという人物を招いて、セミナーを開いたことがありました。

アームストロングさんは、当時、すでに70歳後半でした。

 

元CIAの高官で、「UFO」や「宇宙人」、「秘密結社」、「超古代文明」、「軍事問題」などに、大変詳しい人物で、目から鱗が落ちるような貴重な情報を、たくさん聞くことができました。

 

 

 

アームストロングさんは、セミナーが始まってすぐに、開口一番、

「朝鮮戦争の時に、アメリカの軍人として、最前線で戦い、大勢の敵兵を殺した体験がある」

と言っていました。

「私は、神に背く行為を戦場でたくさんや
ました。現在、私は、主にアジアで、CIA時代に入手した真実の情報を、公開する活動をしていますが、これは、私の罪滅ぼしの気持ちからやっています。こうやって再び、日本を含むアジアで、少しでも、世界平和の実現のための仕事をさせていだだけることを、神に感謝します」

こう話した後、アームストロングさんは、目から涙を流していました。
そのセミナーでは、たくさんの話を聴いたのですが、私が、特に心に残ったのが、「アドルフ・ヒトラー」についての話でした。

 

ヒトラーについては、実際の人物像が、歪められて認識されているようです。

「ヒトラーは、小男で、身長にコンプレックスがあった」

という説が、信じられていたりしますが、彼の身長は、175~178センチだったという説が、事実に近いそうです。

理由は、ヒトラーのボディーガードが、2メートルくらいの身長の大男ばかりだったので、写真には、小さく写っているように見えたそうです。

諸説ありますが、最近では、世界一の大富豪、「ロスチャイルド財閥」の当主の隠し子だったという説も、あるようです。
父親が、世界一の大金持ちだったから、あれほどの活動ができたようです。
他にも、現在のドイツの首相は、ヒトラーの娘だという噂もあるようですね。
「ナチス」についても、イメージが、かなり誤解されて広まっているようです。
悪いことも、もちろん、たくさんやっていますが、同じくらい、良いことも、たくさんやっています。

 

ヒトラーについて、一度徹底的に調べたことがあります。

 

1945年に、戦後のドイツで、「ニュールンベルグ裁判」が、行われていますが、興味深いのは、その時に、連合国側が、「ナチス」の幹部達の「知能(IQ)テスト」を、行っているのです。

知能(IQ)テストでは、100が平均値、70以下が悪く、130以上が、天才だと言われています。
この130以上は、全体の人口の2%だという統計データもあります。

「ナチス」の幹部達の、知能テストの結果ですが、平均が、145だったそうです。
さらに、ヒトラーの側近達にいたっては、平均、175だったそうです。
「広報」、つまり、「大衆心理操作」を仕事にしていた人物が、その当時、世界最高の、198を記録したそうです。
天才の集団だったそうです。
連合国側の心理学者が、198を記録した人物に、

「アドルフ・ヒトラーは、頭がよかったですか?」

と質問をしたら、すかさず、その人物は、

「ヒトラー総統は、私などが、足元にもおよばない、頭脳の持ち主でした」

こう証言したそうです。

ヒトラーが、人間離れした頭脳の持ち主だったことは、事実のようです。

 

 

アームストロングさんの話によると、第二次世界大戦の時に、ヒトラーは、自決して死んだことになっていますが、死んだのは、やはり、影武者で、本当のヒトラーは、すぐに、潜水艦(Uボート)で逃げ出し、オーストラリア海域で3ヶ月潜伏した後、南米のアルゼンチンに入国し、1991年まで、そこで生活していたそうです。

最後は、老衰で亡くなったと言っていました。
実際に、アルゼンチンで、会ったとも言っていました。
少ない監視員に、ガードされながら、わりと自由に生活していたそうです。
最近では、この話は、陰謀でもなんでもなく、アルゼンチンでは、「ヒトラー総統の足跡をたどる」というツアーも、存在しているそうです。

「このレストランのこの席で、ヒトラー総統は、よく食事していました」

というように、ガイドが、ツアー客に説明したりしているそうです。

 

アームストロングさんは、

「実は、アドルフ・ヒトラーこそ、悪魔の最高位、ルシファーが憑依した人物だったのです」

こうも言っていました。

その事実は、その当時、アメリカやロシア、フランス、イタリア、日本、イギリスなど、どの国のトップも、全員知っていたそうです。
それで、ヒットラーの行動を、黙認していたそうです。

ヒトラー(ルシファー)の行動の根本的な目的は、

「この時期に、人間たちに、戦争という行為の愚かさを、骨の髄まで、教えておく必要がある。ここで、教えておかないと、将来、核兵器を大量に保持したときに、地球消滅の危機が来る。だから、私は、戦争、差別、虐殺などを行う」

ということだったそうです。

「将来の地球の危機を、回避するための戦争が、第二次世界大戦だった」

というのです。

「ドイツが、降伏した時点で、ヒトラーの肉体から、ルシファーが抜けて、元の普通の人間に戻ったため、連合国側は、アルゼンチンで、生活しているヒトラーには、それ以上の干渉はしなかったのです」

とも言っていました。

 

「第二次世界大戦の戦争目的は、地球を救うためだっだ」

 

という話です。

 

たしかに、あの時代の後に、あれだけの大規模な戦争が、もし起こっていたら、もっと酷い惨状になっていたのかもしれません。

 

1980年代の各国の核ミサイルの保有数を考えると、1980年代に、第二次世界大戦が、遅れて始まっていたら、確実に、地球は消滅していましたね。

 

1940年代だったから、あの程度の被害で済んでいたのかもしれません。

 

アームストロングさん曰く、

 

「あれでも、その後に起こる可能性を考えたら、まだ、ましだった」

 

と言うのです。

 

 

 

そう考えると、ヒトラー(ルシファー)の主張も、一理ありそうですね。

 

一説によると、第二次世界大戦の戦争被害者は、8500万人だったとも言われています。

当時の世界の人口の2.5%以上が、被害者になったそうです。

 

 

私は、原則として、どんな戦争も、よくない行為だと思っていますが、

 

「当時の8500万人を殺すことによって、現在の70億人の命が救われた」

 

と、言われたら、

 

「う~ん」

 

と、考えこんでしまいます。

 

この話が事実だとして、これに対する明確な意見を述べることは、難しいと思います。

 

私も、どう捉えたらいいのか、いまだにわかりません。

人間って、そういうものなんですかね?
本当に、第二次世界大戦は、必要だったのかな?
理屈で話しても、やはり、わからなかったのかな?

そこまで、愚かな存在なのかな?
これだけの痛い
いをしないと、戦争の酷さが、理解できなかったんですかね?

 

いろいろな疑問が出てきます。

 

歴史において、戦争では、こういう判断するのが難しい場面が、頻繁にでてきます。

たとえば、

「目の前の1万人を殺さなければ、その後に、10万人が死ぬことになる」

という場面で、その決断に迫られることが、王様や将軍などに、頻繁に、突きつけられたようです。

たとえば、古代の中国などでは、「三国志」の時代にも、そういうことは、よくあったそうです。

その時に、曹操という人物は、躊躇なく、目の前の1万人を殺せる人物だったそうです。

一方で、劉備という人物は、たとえ、後に、10万人死ぬことがわかっていても、目の前の1万人を殺さなかったそうです。

どちらの人物が、いい将軍なのかは、わかりません。
善悪というのは、簡単に決められないのです。

ヒトラーは、おそらく、曹操のようなタイプだったのかもしれません。
ただし、私は、個人的には、劉備のような人物が好きです。

 

 

「どうして、原爆投下が、日本だったのか?」

 

というのも、知りたいですね。

 

日本だった理由は、ハッキリとは、わかりませんが、一つだけ、わかることは、

 

「もしも、日本以外の国だったら、憎しみの連鎖が、その後も続いていたのではないか?」

 

ということです。

 

報復につぐ、報復合戦になり、もしかしたら、本当に、地球が破壊されるほどの大破壊が起こったかもしれません。

 

あれほどのことをされても、報復しないという高い霊性をもった国民だから、その地球規模の大役を、任されたのかもしれません。

 

だとしたら、私たち日本人の使命は、これからの「世界平和」において、とても重要だということです。

 

 

前述したように、地球に、一番大きな影響を与えた宇宙人一族は、「アヌンナキ (Anunnaki)」のファミリーです。

その中で、「エンリル(Enlil)」と「エンキ(Enki)」の話も、紹介しました。

そして、聖書の中において、「エデンの園」で、アダムとイブに、リンゴに象徴される、「知恵の実」を、食べさせた存在が、上半身が人間で、下半身がヘビの「エンキ」だったという仮説も、紹介しました。

そのエンキが、ルシファーなのです。
つまり、「エンキ=ルシファー」ですね。

 

フランスのパリ大学は、第二次世界大戦の時に、ナチスの占領下にはいり、ヒトラーに、建物を改装されたりしたそうです。

特に、パリ大学の分校は、ヒトラーが、いろいろな紋章を、門などに刻んだそうですが、この刻んだ紋章の中には、シュメールの神々が、刻まれているのだそうですが、なんと、「エンリル」と「エンキ」のグループの中で、「エンリル」のグループが、意図的に除外されているのだそうです。

ヒトラーは、パリ大学に、「エンキ」のグループの神々しか、刻んでいないということです。
これは、ヒトラーが、「エンキ」のグループであり、「ルシファー」だったという状況証拠の一つになりますね。

 

 

そこで、ふっと思いだしたのは、ヒトラーの妻だった、エヴァという女性です。

エンキ(ルシファー)が、エデンの園で、最初に誘惑して、リングを食べさせたのは、アダムとイブの二人のうちのイブのほうでしたね。

「Eve」は、「イブ」とも読むし、「エバ」とも読みます。

ヒトラーの妻の名前が、

 

「エヴァ・アンナ・パウラ・ブラウン(Eva Anna Paula Braun)」

このファーストネームの「Eva」は、「Eve」ですね。

さらに、ミドルネームだと思われる名前に、

 

「Anna」

 

が入っています。

これは、「Anunnaki」のファミリーを、意味する名前なのかもしれませんね。

 

もしかしたら、ヒトラーに憑依した、「エンキ=ルシファー」が、太古の昔、エデンの園にいた、「エバ」に、そっくりな女性を見つけ、その女性に、「エヴァ」という名前をつけて、妻にしたのかもしれません。

もしくは、このエヴァという妻は、「エデンの園」のエバの子孫だったのかもしれません。

 

 

 

 

これらの話は、どこまでが真実なのかは、わかりません。

でも、一度、こういう視点からも、あの大戦を考えてみてもいいと思います。

 

 

歴史なんて、ほとんどの真実は、隠されたり消されたりしてるのです。

 

「第二次世界大戦の真相」は、これからも、続々と出てくると思います。

 

私も、それらの真相を知るたびに、驚愕していますが、大切なことは、どんなにネガティブなことでも、それに対しては、もう過去のこのなので、恨みや復讐心は、もたないようにすることです。

 

そして、それ以上に大切なことは、それらの真実を知った後は、二度と未来に、同じ出来事が起きないようにすることだと思います。

 

 

 

 

 

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あなたのお部屋にエヴァをお届けします

「プレイヤー」

 

[作]前川知大

[演出]長塚圭史

 

[出演]藤原竜也 / 仲村トオル / 成海璃子 / シルビア・グラブ / 峯村リエ / 高橋努 / 安井順平 / 村川絵梨 / 長井短 / 大鶴佐助 / 本折最強さとし / 櫻井章喜 / 木場勝己 / 真飛聖

 

 

舞台はある地方都市の公共劇場、そのリハーサル室。

国民的なスターから地元の大学生まで、様々なキャリアを持つ俳優・スタッフたちが集まり、演劇のリハーサルが行われている。
演目は新作『PLAYER』。

幽霊の物語だ。

死者の言葉が、生きている人間を通して「再生」されるという、死が生を侵食してくる物語。

 

<行方不明の女性、天野真(あまのまこと)が遺体で見つかった。

死後も意識として存在し続けることに成功した彼女は、友人達の記憶をアクセスポイントとして、友人達の口を借りて発言するようになっていく。

事件を追っていた刑事、桜井を前に、天野真を死に導いた環境保護団体代表であり瞑想ワークショップの指導者、時枝は、これは世界を変える第一歩だと臆面もなく語る。

死者との共存が、この物質文明を打開するだろうと。

カルトとしか思えない時枝の主張に、桜井は次第に飲み込まれてゆく。>

 

物語は劇中劇と稽古場という二つの人間関係を行き来しながら進んでいく。

死者の言葉を「再生」することと、戯曲に書かれた言葉を「再生」することが重なる。

単なる過去の再生ではなく、今を生き始める死者と、戯曲の言葉に引き寄せられ、アドリブで新たな言葉を紡ぎ出す俳優が重なる。

演じることで死者と繋がった俳優達は、戯曲の中の倒錯した死生観に、どこか感覚を狂わされていく。

生と死、虚構と現実の境界が曖昧になっていく。

時枝の狂った主張は、桜井の選んだ行動は、リハーサル室でどう響くのか。

 

8月11日19:00~、シアターコクーンにて。
 
オモシロかったー!
大好きな「イキウメ」の前川さんのホンに、長塚さんの演出と、普段の劇団公演とは雰囲気の違うキャスト。
どんな感じかなー、と思ったけれど、いつもの前川作品の魅力顕在でした。
次第に曖昧になる劇中劇と現実の境、混じり合う日常と非日常、生と死。
タイトルの「プレイヤー」にこめられた2つの意味。
更にその裏にあるもの。
それぞれ気付き出すにつれて、じわじわと怖くなるお芝居でした。
 
そして、今回はイキウメ/カタツシツ公演ではないですが、
「聖地X」と「関数ドミノ」が、「太陽」と「天の敵」がそれぞれ対になっていると感じたように
「プレイヤー」は、「語る室」と対になっていると思った。
前川さんの好きなテーマのひとつなのでしょうか。
あちらは温かい希望、一方こちらは…。
 
 
新興宗教、瞑想、精神世界、スピリチュアル。
普段の生活で聞けば場合によっては、一歩引いてしまうような内容もテーマのひとつとなってはいますが、
この作品を観た後だと、とても身近な話なのではないか、とも思います。
作中、お通夜等で故人を偲んで集う皆が語り合うシーン。
皆が同時に一人の人間を想う時、自然に故人の言葉をなぞるということが起こるのは実はそんなに不思議でもないんじゃないか。
それをごく普通に受け入れるか、あえて非現実的な原因を見出すか、それだけの話なんじゃないか。
後者にちょっとしたひと押しを加えて、どんどん大きく膨らませた結果がこの話なんじゃないか。
と考え出すと、今回の話がいよいよ怖くもあり、「そんなばかな」と笑い飛ばしたくもあり…。
と、鑑賞後はいろいろ自分に置き換えて考えてしまうのが、前川作品の面白いところだなぁ、と思います。
 
あと、角度を変えてみれば、「脚本家」という仕事についても深く考えさせられる作品。
いや、脚本家に限らず、何か物語を書き残す全ての人にも当てはまるかもしれない。
しかし、内容といいあのラストといい
「実はもう『始まってる』んじゃ…」
と、不安にもなってしまいますね。
 
 
「劇中劇」は私の好きなシチュエーションのひとつなので、その辺りの面白さも存分に味わえました。
多くのキャストが実質一人二役を演じ、次第に現実と虚構の境が(観客としても)曖昧になっていくのは、分かっていてもゾクゾクする。
初見だと理解力を問われて難しいところでもあると思うのですが、分からないなら分からないなりに、その気持ち悪さが面白いというか。
キャストの巧さは、堪能堪能。
メインの藤原さん仲村さんの巧さ格好よさ、その演技力を終盤になると全部恐ろしさに振ってくるから息を飲んで見守ってしまった。
あと個人的には安井順平さんの癒し力に感服です。
どんどん虚構に飲み込まれる中で、ある種、唯一の現実の砦というか、
とにかくあの人が喋るとなごむ~。
 
多分、前半からいろんなアレコレが散りばめられていたと思うので、出来るなら2回見たい芝居でした。
初見は初見で、どう話が転がっていくか分からない面白さがあったけれど。
映像収録日が明記されているので、またどこかでテレビまたは円盤化があることは期待してよさそうですね。
 
 
以下、短いですが、もっと突っ込んだネタバレ感想になります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
死者の言葉を再生する存在、という意味での「プレイヤー」と、

脚本に書かれた言葉を口にし演じるという意味での「プレイヤー」。

 
タイトルに2つの意味が込められていた、と物語上で分かってくる。
それだけならともかく、最終的にこの別々の意味である筈のものが逆に「一つに重なっていく」。
それが一番怖いなぁ、と思ったところでした。
あの場に集った役者達、プロデューサーや演出家達、皆が最後にはあの「PLAYER」を書いた脚本家の「PLAYER」となる、という…。
どんどん虚構に侵食されていく現実が、元々劇中劇という設定だけに、本気でどこまで脚本なのか分からなくなっちゃうんですよ。
一幕ラストも、益子さん?が「プレイヤーとなった」身体の動きを練習してるのとか、めちゃくちゃ怖かったです。
あれこそ、最早「どっち」か分かんなかったもの。
 
「過去、現在、未来。全ての結果がひとつになった、肉体の存在しない情報のプール」
 
エヴァネタで申し訳ないですが、これは前川さん流
「人類保管計画」
かな、と。
めちゃめちゃ乱暴なくくりだけど、結構近いイメージな気がするぞ。
前川さんの別作品「語る室」は、そのプールの存在が仄めかされ、うっかり「アクセス」することによって日常から外れた人々の日常を、
淡々と優しく描いた物語で私は大好きでした。
一方その頃、こんなことも起こりうるのだ…、と同じ作家に不安と絶望に突き落される感じ、嫌いじゃないです(笑)
 
 
そして、亡くなったとされる「PLAYER」の脚本家。
彼の目的が何であったかというのは、おそらく作中の時枝と同様なんだろうなぁ。
人類のアップデート。
演劇という形で完成すれば、脚本を読んだ人、演じた人、観た人、結果的に皆が彼のプレイヤーとなるに等しい。
それこそ、ねずみ算的にこの思想は広がっていくに違いない。
この芝居で聞けばとても恐ろしいことなのだけれど、ごく普通の日常で考えた時には、少し違う見方も生まれる。
目的にさえ眼をつぶれば、それはもしかして、物を書く人間として当然の願いなんじゃないか、とも少し思いました。
自分の知らないところで、いつか自分がいなくなった後でも、自分の書いたこと、生きてきた証みたいなものが、
誰かによって繰り返されて、伝えられて、また他の誰かに繋がっていく。
それは作家の本望でもあるんじゃないかな、と。
私自身は創作をする人間ではないですが、一人の受け手としてはそう思いました。
それに、この芝居を見て、どうしても考えるじゃないですか。
「私の『プレイヤー』になってくれるとしたら、誰だろう?」って。
勿論、それをやる気はさらさらないけれども!
「プレイヤー」って、要するに縁だと思うし。
「プレイヤー」となり得る誰かがこの世に残るなら、良い人生だったんじゃないかな、とか。
物語の趣旨とはずれるけれど、自分に置き換えたら、割とそんな風にも思いました。
 
ただ、私はそれでも肉体にこだわりたい(笑)
ここで問われる思想に対する論理的反論が想い浮かぶほど、理解しているわけでも頭が良くもないけれど。
誰かの身体を借りずとも言葉が話せて、五感があって、美味しいものが食べられて、新しい縁を紡ぐことだって出来る。
例え人口問題を解決する手段だとしても、これ以上大事なことはあるのかな、と思います。
でも、これもし実現したら…ひょっとしたら「流行っちゃう」のかもしれないなぁ。
そう思わせられる、妙なリアルさが怖い。
 
あ、あとシュレディンガー(cv:安井順平)が可愛くって、可笑しくって、のち怖い。
遊園地とかの着ぐるみの怖さってアレだよなぁ。
 
 
 
とりあえず、この作品を見た以上は我々も既に「プレイヤー」なわけです。
そう考えたら、これまでになく自分に影響する観劇体験かも。
あまり考え過ぎると、どんどんスピリチュアルな方向に突き進みそうな話なので(笑)
そういうのが得意でない私の感想はここで終わります。
次の前川作品「関数ドミノ」も楽しみです!
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