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オーディションを通販で購入するならご参考に!頑張った自分へのご褒美にもいいのではないでしょうか

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こんにちは。
突然ですが、わたしは地下アイドルをしていました。過去形です。いまはフリーターです。これは最初の記事で書きましたが。今日はそんなわたしの学生時代を振り返るだけのブログを書こうと思います。コミュ障で人と話すことが苦手だったわたしの学校生活は時に楽しく時に地獄のようでした。読んでもそんなにメリットはないけど、「へえ〜えるってそんな子だったんだな」程度に思っていただけたら。
小学生時代のこと幼稚園の頃からのおともだちと6年間登校していました。気が弱く、本音を言ってしまえば彼女が傷つくかもしれない。そう思って本音を隠して生きてました。今はお互い対等な親友だけどね。

そんなわたしは小学三年生の頃、隣に座っていた男の子に突然「暗くてきもい」というような言葉を吐かれます。更には、同じ班(小学校は席ごとに班というグループが作られてたんだよね)の人みんなにからかわれてお風呂で泣いたり。どうしておしゃべりしないで静かにしているだけできもいと言われるのか?意味もわからずわたしはめそめそしていました。クラスで目立つような男子は特に私のことを嫌って、それはやっぱり卒業するまで続いたのです。
中学時代
中学では美術部に入部します。絵が好きだったし、一緒に入部した人たちも優しかったので。(オタクは大抵美術部に入るよね)中学校では、本当にひとりぼっちのことが多かった。小学生の時の親友とは部活でしかほぼ顔を合わせない状況。クラスに話せる人がおらず、同じくひとりぼっちのこに声をかけたり、無理やり仲間に入れてもらったり。そもそもそういうのがほんとに嫌ですよね。わたしてきにしんどかったのは、時計を見つめていたら突然視界に入ってきた女の子が自分を見つめていると勘違いして「なになになにきもいきもいきもい」と隣の男子にめちゃくちゃ言ってたことです、あなたの事なんてこれっぽっちも見てないから高校時代1番辛かったような気がする。高校デビューしようと眼鏡をやめてコンタクトにした。スカートを折って第一ボタンをあけてリボンを緩くして。最初はうまくやれてたけどどんどんボロが出てきて結局二学期にはもう私は少しも目立たない存在になっていた。それでも、私の学校は男子も少ないし変にわたしの噂をしてるところを聞いたりすることは無かった。けれど。アイドルのオーディションを受け、デビューしてからしばらく経った二学期。わたしは自分と真反対の明るい男子と隣の席になった。彼は友達も多く、クラスの中心人物のような存在だった。わたしはその人の横で静かに過ごしていたのだけれど。ある日、わたしは紙に落書きしては消して、落書きしては消してを繰り返していた。周りに見られないようにとふさぎ込むようにしていた。のを彼は見ていた。そして大袈裟に真似して友達と笑っていた。真似されたのだ。私の行動を。確かに周りから見たら私の行動は変かもしれない。ガタガタと机を揺らして描いた絵をけして。それからわたしは絶対に絵を描かなくなった。それ以来、彼の笑って話す声をきくのが怖かった。きっと私の話をしているのだ、みんなそうだ、みんな私のことを嫌いで笑っているのだと本気で思った。それから学校に行くのがほんとに辛くて、お母さんと駅でお買い物をしたりお茶をしたりしてバスに乗って帰る時、「明日も学校にいってあいつの隣に座るんだ」と思ったら自然とバスの中で号泣していた。人前で絶対泣きたくないというプライドがあるのに。お母さんはそんなわたしを見て、話を聞いてくれた。次の日は学校を休んだ。それからわたしは時々学校をサボるようになった。学校に行くように電車に乗り、駅で降りないで遠くまで電車に揺られながら寝ていた。遠くに行ったらまた地元に戻った。でもそのうち、先生にちゃんと会わなくちゃいけないと思った。保健室で、養護教諭の先生と担任の先生に全部泣きながら話した。思い込みすぎだろうと先生は笑った。気にしなければいいって。そう、ただ気にしなきゃいいだけなのに私にはそれができなかった。次の日からはちゃんと学校に行った。その日から隣の男子はちょっと優しくなった。でもわたしは聞いた、「なにいってんだろw」といった声を。私の言ってたことは全部間違ってて、かれは私に対して嫌なことを言ったわけじゃないんだと。それを私に直接言わないで友達に話していたのだった。それから大して嫌なことは無かった。でも私はきっと一生忘れない。学校を休んだら負けだと思っていたのに、3年生でいっぱい休んだ。誰かの笑い声が私を嘲笑うものだと今でも時々錯覚する。

でもアイドルをやっていたアイドルの「叶える」としてステージに立つ時は全部隠した。アイドルは悲しみも辛い気もちも全部隠すものだと思ったから。応援して楽しんでくれる人を悲しませたくないし、それがきっとわたしの強みになると思って。もしアイドルの活動をしていなかったらわたしはきっと折れてたと思う。だから、ちょっとの間でもステージに立てたことはほんとに喜びだった。(まあツイッターで時々病んでたりしたけどね)

まとめ

なんとか学校を卒業した私ですが本当に高校生活は人生のどん底でもあり最高潮でもありました。ところで義務教育って中学生までだけども、高校もほぼ義務と同じようなものだとわたしは思っています。わたしは「高校だけは卒業して」「就職に有利だし」といわれて(結局就職なんてしなかったけども。成績も悪かったので)泣く泣く行っていたけれど。でもやっと卒業してほんとに何にも縛られない日々が来ました。おかげでいまは昼まで寝ています。いやそれはどうなんだろう。つまりは高校さえ乗り切ればあとは大丈夫 ってことです。その後大学に行くもよし、浪人するも良し、とりあえずバイトをするもよし、もちろん就職するのもよし。(アイドルになるのもね)就職してもほんとに追い詰められたら辞めればいいのです、それさえも許しくてくれない厳しい親ならもう親元離れた方がいいけれど。だから今高校とか中学とかしんどいよって人、あと数年だけ頑張ればいいです。何があっても自殺とか事件起こすとかはだめだと思う、わたしは地獄に行きたくないのでどっちもしない。すごい長くなってしまった!ごめんなさい!1度きりの人生楽しんでいこうや!

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