物忘れ 僕らは、短い夏を駆けぬける。
子どもって本当にすごい
さっきまで泣いてたじゃん??
今日の物忘れスレはここですか
「あああぁぁぁーーーーーーーーーーー!」
大学も無事受かり、後は卒業式を待つばかり。という、高校三年生の春休み。
この日も昼まで寝ようと決めていうちは、おかんの叫び声に起こされた。
「忘れてたあーーーーーーーーーーーー!!」
ADHDが忘れ物の天才やとしたら、うちのおかんはまさにそれ、天賦の才能の持ち主やった。
持ち物、予定、約束といった一般的なことはもちろん、電気ガス水道の支払い、ご飯を食べさせることまで……。その才能は対象を選ばず、我が子にも容赦なく発揮された。
(うるさいな……。忘れるなんていつものことなんやから、いちいち大声出さんで欲しいわ)
頭から布団を被って再度夢の世界へ、と思ったとき、おかんがまた叫んだ。
「にゃんたろう! 支払い期日、過ぎてしもてる――!」
「……支払い期日?」
どうやら、うちに関係する何かを忘れたらしい。
二度寝を諦め、ふすまで隔てられただけのおかんの部屋に移動した。
「支払い期日って、なんの?」
おかんは畳に敷いた布団の上に座っていた。その膝の上に、A4サイズの書類と通帳を広げ、
「先週や。先週末までやったんや……」
こちらを見もせず、書類に目を落としたまま" わなわな "している。
うちに関する直近の支払いと言えばーー
「支払いって、大学の? 入学金はもう払ったんやろ?」
おかんは素早くこっちを見て言った。
「ちゃう! 授業料や!」
「……授業料?」
恐らく、口座の残高不足で引き落としが出来ひんかったんやろう。うちの家はこれが原因で、よく電気やガスが止まる。
せやかて、入学金を納めて入学の意思は示しているんやし、多少授業料が遅れたくらいで、何をそんなに慌てることがあるんやろうか。大学が始まるまで、時間もまだある。
「少し過ぎてしもたけど、『すいません、今から振り込みます』って連絡したらええんちゃうの?」
いつもこれでなんとかなったし、大学だって学生が欲しいはず。数日くらい大目に見てくれるやろう。
でも、おかんはちょっと青くなってた。いつもの事態じゃないらしい。
というのも、実はこの時期、「入学を辞退したのに入学金が返還されない」トラブルが連日テレビを賑わせていた。
どういうことかというと、
国公立など、試験日程が遅い大学を本命にしている受験生が、滑り止めの大学を受け、合格枠をキープしておく
↓
入学金を支払う(20?30万ほど)
↓
その後、無事、本命に受かる
↓
滑り止めの大学に辞退を告げる
&
入学金の返還を求める
↓
大学に拒否される
(新年度直前、新規募集をかけることも出来ひんタイミングでキャンセルした上、金まで返せとか「何ぬかしとんねんボケ」)
↓
もめる
これまでも訴訟に発展したケースはあ
たみたいやけど、その判例が一貫してなかったために、「入学しない学生に入学金を返さないのは違法か合法か」って社会問題にまでなってしまったんやった。
「入学金は入学するためのものなんだから、入学しない受験生には返還すべき!」て、ワイドショーが熱く盛り上がってたのを覚えてる。
「入学金は返還しなくて良い」
「ただし、授業料は返しなさい。授業を受けていないのだから」
最高裁が判決が下したのは、2年後の2016年。
つまり、「入学辞退と入学金の返還問題」が注目され始めたのがまさにこの時期やと知れば、おかんの「物忘れ」のタイミングがどれだけ悪かったかも、お分かり頂けると思う。
大学側の対策は完璧やった。
おかんの膝に乗ってた書類いわく、
・ 一日でも授業料の支払いが遅れた場合は、入学の意思なしとして合格を取り消します。
・ 一度納められた入学金は、いかなる理由であっても返還しないものとします。
あの手この手で頼み込んたけど、あかんかった。(もちろんお金も返ってこんかった)
考えもせんかった、まさかの浪人生活。
卒業式の日、どこか遠くを見ながら先生が言った。
「俺のクラスは全員、進路が決まって安心やと思ってたのに……」
ほんまやな。ごめんやで、先生。
さあ、困った。
進路を決めるのがただでさえ苦手やのに、また考えなあかんとは。
一年勉強して上の大学を狙おう、という気は全く起こらんかった。
(ASDの特性なんか)国語の偏差値は70以上あったけど、数学は30以下という学力の偏り。学科試験での合格は望むべくもなかったし、出席日数はギリギリで内申点もよろしくない。そんなうちでも受けれるところ……関西一円から学校案内を集め、授業内容ではなく入学
試験に重点を置いてチェックした。
結果。
一年後、なんとか京都の山奥の、ある大学に入ることが出来た。
その頃、試験一辺倒の能力測定ではなく、もっと幅広く、多角的に学生の可能性を測ろう! という「AO入試」なるものが少しずつ導入されており、うちが受かった大学も、筆記やセンター試験の成績、内申点は考慮しないという、かなり攻めた内容で門戸を開いてた。
(今ではAO入試ってよく聞くけど、当時は一発芸入試と揶揄されたり、実績より可能性を重視する姿勢が「青田買い」と非難されたりしてた)
ちなみに、うちが受けた試験は、山頂付近の研究施設に閉じ込められるところからスタートした。〈講義90分+議論90分〉を1日3回、それをなんと3日間(!)、夜はそのレポート3本分。
そして、出来の悪い学生は唯一の自由時間である夕食後に個人面談という名の圧迫面接……。(もちろん毎晩呼び出された)
ただ、不思議なもんで、この時の圧迫面接教官が恩師になり、恩師の繋がりで、とある人と出会い、その人から声をかけてもらって福岡で就職することになった、という。
結果良ければ全てよし。
ほんま、人生何があるか、どう転ぶかなんかわからんもんやな。
故郷を出て8年、社会人生活で色々揉まれ失敗し頭を打った、今やから改めてそう感じてる。
……て言いたいところやけど、あなたと暮らした日々がそんな連続やったから、
社会人になった今の方が穏やかに暮らしとるわ。
そう思えば、本人が一番大変やったんやろうな。社会人として生きていくことが。
おかん。
学校行かせてくれて、ありがとうな。