ボクシングに関する情報を集めてみました♪
自分では当然勝ったと思った試合が、負けだと判定された。
終わった後、色々な人が意見を述べてくる。なぜ負けたのか?何が悪かったのか?
そういう些細なことを聞くことも大切な敗因分析となる…のだろうか?
僕はそうは思わない。それは変な判定を容認する愚行だ。延々と続く説教も
自分が負けたと感じた時は、ありがたい苦言として耳にすんなり入ってくるが、
自分の勝利を確信した時は、そのアドバイスは敗北を肯定する嫌味でしかない。
あそこが悪かった…ここが悪かった…とネガティブに敗因を聞かされるうちに、
自分の一番いい部分まで否定してしまうことになる。なんという大きな過ちだ。
敗因には…審判のスタイルの好き嫌いや、単なる勉強不足や理解力不足による
愚かなミスジャッジだってあるだろう。君のセンスに嫉妬する審判もいるだろうし
県や学校や連盟のしがらみで、止むに止まれずに勝敗を歪めるケースだってある。
その負けの理由を探せというのか?それでもスタイルを変える必要があるのか?
今日の審判は猛烈ファイターが好きだから、ガンガン前に出て打ち合おうとか…
今日の審判は、昨日勝った相手の学校の先生だから多分負けにされるだろうとか…
今日の相手は実績があるので、1?2ポイントビハインドのつもりで戦うとか…
メイがアルバレス戦でドローをつけた審判に好かれるようにスタイルを変えたか?
村田選手がエンダム戦に負けをつけられたからといってスタイルを変えるだろうか?
そんな愚かな真似をするボクサーはボクサーではない。自分を否定するのだから…。
有名な学校や連盟のお気に入りの選手が、判定なら勝つというのもおかしな話だ。
そもそも論になってしまうが、「あの学校に入っておけば良かった」とか、
「あの大学の誘い通りに進学を約束しておけば良かった」というのが敗因なのか?
どう考えても…そんなのおかしいだろ?何故、判定を公明正大にできないのか?
実際…ガンガン打ち合って勝敗が微妙なボクシングをする選手側にも問題はある。
でもまさしくそれこそが…逆に、変な判定を助長する洗脳されたスタイルだ。
打たせずに打つという本来のボクシングから、かけ離れたボクシングがあるんだ。
救世主は捏造して生まれるものではない。ただただ公平にジャッジするだけでいい。
以前僕は…ある出版社からボクシング界のタブーを書いた書物を出版しましょうと
声をかけてもらったことがある。その時は…自分のジムの選手に迷惑が及ぶからと
お断りさせていただいた。選手たちとの未来に、軋轢を生じさせたくなかった。
でも今は違う。ことはボクシングの未来の問題だ。このままでは本当にダメになる。
このまま無言を貫けば、ボクシングは徐々に沈んでいく運命を辿るだろう。
変な判定で負けた選手はやる気を失くしてしまうし、後進だって徐々に離れていく。
実際に国体の隔年開催が決まってしまった。今、声をあげないでいつあげるのか?
僕らが次世代からボクシングを奪ってどうする?未来を誰が守ってあげるんだ?
自分の人生だけを考えるのは卑怯な人間だ。大好きなボクシングに恩返しを!!
そのためにもボクシングを学びましょう。特にレフェリージャッジ諸侯は是非!
日本という国はずっとこのまま三流国であり続けたいのか?そんなの嫌でしょ。
ボクシングに関する都市伝説10個
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た。
そんな中で「もっとこうしたら結果が出るのに・・・」「もっとこういう配慮をしたらお客様は喜ばれるかな」という想いが日に日に強くなり、独立を決意しました。
大手エステサロンでの技術や気配りはそのままに、もっと親身に結果にこだわって、お客様が心からリラックス出来る環境を求めてサロン作りを行い現在に至ります。