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偽物の格安情報を提供、ついつい周りで流行ってるものをなんとなく選んでしまう、そんな貴方に!

偽物

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夏休みが終わって数日経ちましたー。

長野はすっかり秋の風です。
次男が体調を崩していて本日登校したのと高校は今日から始まったので今日から日常が始まった感覚です。

もういろいろイベントがありすぎてへとへと(とはいえ、他の人はなんなくこなせる量なのだと思ふ)。

体力の無い自分がもどかしいです。←これも何かあると思うのだけどわからない。

この夏のキーワードはライオンゲート、雷、先祖供養、京都、上賀茂神社、バックトゥーザフューチャー、

未来・過去・現在でした。

まずは8月8日(月蝕・ライオンゲートと呼ばれる日)に伏見稲荷に行ってきました。

台風5号が前日にものすごい豪雨をもらたし、あわや中止か?新幹線は動くのか?という状況でした。

そんな中、友達とに参加したのです!

単純に蝕をともなうちょっと特別な日に何かしたかったというのが理由です。

稲荷系は私の産土神でもあります。

 

当日の朝、家を出るときも雨で、でも晴れてくるはずと信じて。

 

↑人でごった返す集合場所。

 

 

稲荷山参拝を「お山する」というそうです。

 

伏見稲荷、その独特の雰囲気はまるで異界にいるようでした。

 

 

 

 

 

神様の世界には昼も夜もないため、ろうそくを灯して自分を照らし、存在を神様に知らせるためとのこと。

 

 

火は陽の力。

水は陰の力。

お山をすることで陰と陽の統合を図る。

 

山の登りは「自分自身の内側に集中していく時間」。

山の下りは「気持ちを自分自身の外側に拡げていく時間」
 

 

おもしろいのは先達の松本育子さんや須佐厳さんが、数ある神社の中でその人に必要な神社を教えてく

れるのです。歩いている途中たまたま個人的な話をしていた中で、「ちょうど今行く神社がその願いを叶えてくれます」みたいな話になっていくのですよー。これにはびっくりしました。

 

 

私は2回ほど育子さんに呼ばれました。どちらも必要なお話でした。亡くなった人への負の思いを断ち、流す(許す)こと。どんな名前でもどんな環境でも自分は自分なのだということ。

「門野」の姓で、「櫻井」の墓を守っていくことに重苦しく感じていたので少し軽くなりました。

 

須佐厳さんの私へのお話はピンとこなかったのですが(苦笑)、少し先に必要になってくる感じがしました。ピンとこなかった分忘れるのも早い(^_^;)。先見の明を持つことと言われたような。

 

 

こちら頂上。

この神社にはご祭神は無く、連れてきた先祖を座っていただくのだそうです。

(だいぶうる覚えだ(ーー;))。

 

 

無料の占いで大吉!

「(中略)世人の尊敬を受け、1家の興隆の気運到来であるから、慎重万事に計るべきである」と書いてある。

 

下山の途中もいろいろとお参りしながら降りてきたのでした。

いろんなことをお願いしている中で、本当に願っていることってなんだろうとか思うことあり。

願いがわからないなんて、自分のことおざなりにしてきたみたい。

 

そうそう、最後の方で多くの人が数珠を持っていることに気づいたのです。

質問すると、神と神に似た妖しとの判断をするためだそうです。

数珠を手ですり合わせても声が聞こえ続けるのは神様。

断ち切れるのは妖し。偽物。

 

数珠欲しいーと興味を持ちました。

知り合いに、護身のために持つ人がいたので詳しく話を聞いてみたい。

 

 

こうしてたくさん歩いた伏見稲荷巡禮は終わったのでした。

伏見稲荷すごい場所でした。

 

最後の最後にひいたおみくじは

「吉凶相交末吉」

世の中の人の心のうきぐもに 空がくれする有明の月

 

今は心配する事の絶えざる有様であるですって。

書いてあることに心当たりが・・・。

占いにある歌の象徴に注目するといいようです。

 

雲に隠れる月・・・ 

 

月は感情だよね、きっと。

 

そしておみくじは日付を書いてノートに貼っておくとよろし、とのこと。

そうやって今の自分を振り返るといいのだね。

 

神社参拝がおもしろいと感じるようになったのはつい去年辺りからのこと。

いろいろ勉強になります。

 

須佐厳さん、松本育子さん、ご一緒したみなさん、ありがとうございました。

 

 

(2)へ続く。

 

 

 

 

 

 

アルファギークがこっそり教えてくれる偽物の真実

 

 

 

 

 

荘子(そうし)は中国戦国時代の思想家で
荘子が書いた書物は「荘子」と書いて「そうじ」と読みます。
その荘子の思想の中でも有名なのが「木鶏(もっけい)」の教え。
『闘鶏を育てる名人がおり、その名人にその国の王様が
この軍鶏(シャモ)を強い闘鶏に育てよと命じます。

十日ほどして王様が闘鶏師に
「もう育ったか」と尋ねますが、闘鶏師は
「まだ空威張りして闘争心があるからいけません」と答えます。

また十日ほどして王様が育ち具合を尋ねますが闘鶏師は
「まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます」
と答えます。

更に十日して尋ねると
「目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません」と答えます。

さらに十日して尋ねると
「もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。

まるで木鶏のように泰然自若としています。
その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう」と答えました。
これは
「木鶏」の教えとよばれています。
老子荘子思想は

「他人のことを気にせずに自分は自分の道を歩む」
と訳され 
そのように「しようとする」ことで
そのように「なろう」と努力しようとすることが多いようなのですが

 

 

本当の自分として生きている(なっている)人は
「他人のことは気にならなくなることで 
 本当の自分の道を歩んでいる(なる)ことがわかるものだ」
という解釈の方が ぴったりときます。
そして 
荘子(そうし)が荘子(そうじ)の「山木篇」の中で語っている
職場の付き合いや、日常での交友関係に参考となる格言を遺しています。

 

 

「君子の交わりは、淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと醴の若し。
君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ。
彼の故無くして以て合する者は、則ち故無くして以て離る」
「物事をよくわきまえた人の交際は
水のように淡白だが永い間親しみ続け、
わきまえのない人の交際は、まるで甘酒のように甘く、
ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、
破綻を招きやすいものだ。理由なしに結ばれた者は、理由なしに離れるものである」
「醴」は甘い酒のことをいい、ここではと甘酒を対比して、
交際のやり方を比喩で示しています。
一般の解釈のなかには、
君子を教養人とし小人は教養程度の低い人を指しているのだという説もありますが、
必ずしも学問をしている人や読書の多い人が水のように
淡い交際をしているとは限らないと思います。

学歴が高く、地位が高い政治家や教養人にも、濃厚な交際を好み、
つながりを強めるために「甘い交際」を進める人びとも多く見られます。
これらは
これまでの記事でお伝えしている内容と
同じことを言っているように思います。
ここでいう
物事をよくわきまえた人というのは
すなわち 誰かの役割を生きているのではなく
本当の自分を生きている人であり
わきまえのない人というのは
本当の自分として生きていないために幻想に惑わされている人のこと。

偽物の自分として生きている場合
常に
偽物の自分の正しさを証明する必要が生じます。
(何故ならその役割が偽物だと本当の自分が知っているから)
そのために
無自覚に不適切な期待が生じ、
それを支えてくれている気がする目の前の人に衝撃が起こります。
(この目の前の人も多くは同じ問題を抱えています)

ピンときた!や
根拠なく強く惹かれる、
ピースが埋まる感じがした、のように衝動的です。

 

このような衝動的な出会いの多くには
強く、激しく、熱く、
かけがえのない人のように思える陽性の転移感情が生じています。

この場合「関係に執着し合い」「共依存」という状態になります。

結果、互いの課題のある親子関係を投影し合い、
よくその親子関係のゲームが再現されるにつれ、
本当の自分を生きないことで
「生きる力=心のエネルギー」が枯渇し
疲れを感じ、疲弊し、一気に陰性の転移感情に転じ
怒りをぶつけあう、憎しみ合うことになり
関係が破たんします。
私たちの心(脳)は
人間関係を 「あっさりとしよう」や「淡泊にしよう」と意図すると 

その逆を実現し

 

~のようになりたい、なろう、~をしたい、しよう、
~のように生きたい、生きよう、 は
ならない・なれない自分、しない・できない自分 を
より強く実現します。

 

 

なっている自分になるのには
偽物の役割を手放す、

十分な本当の自分に戻るプロセスが必要です。
本当の自分に戻るための近道はありません。

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