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ついに登場!「エマ.com」

エマ

格差社会を生き延びるためのエマ

ご訪問ありがとうございます☆
仲 恵麻(ナカ エマ)と申します。

このブログは

離島出身のド田舎娘が名古屋で結婚!
実家遠いけど、一姫二太郎育児頑張ってます!
育児ネタ中心に、元看護師ネタや
専業ママの日常などを漫画にしています☆

 

初めての方はこちらをご覧ください

コメント欄に関しての記事は

前回のお話はこちら

お友だちに大切な

どんぐりを奪われて
しまった息子。
 
「返して」とお願いすると、
お友だちは返してくれたものの…。
 
その出来事をきっかけに、
場面は「私の中学生時代」に遡ります。
 
幼稚園や保育園の時もそうですが、
 
小学生、中学生の頃も
「取った・取られた」というような場面、
ありませんでしたか?
 
これは、私が中学2年頃の話です。
 
また続きます
遊んでいるのかいじめなのか⑨
 
 
 
4月28日に書籍が発売されました
 
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 ↓今迄の4コマがまとめて読みやすくなっています。

 

 

エマ しかし、泥棒にだけは、やさしくない家です。

千秋さんは昨日のエマージェンシーの後、

今までいたマノアと同系列のフォスターホームの、カハラのホームに変わりました。

 

 

クリが退院したら、我が家から車椅子を押して、千秋さんのホームまで散歩で行くことができます。

ちょっと坂道はあるけれど、そこは頑張ろう。

クリも千秋さんも、またちょくちょく会えて良かったね。

配慮してくれたナゴミホームのカヨコさん、

ありがとう。

 

千秋さん、クリの声を聞いたら、目を開けてくれるかな?

 

 

 

 

 

今日は千秋さんと私の考えを書きますね。

コメントを下さった方の言葉がきっかけで書いていますが、

反論ではありません。

 

 

いろんな考えがあると思うし、

我が家はこんな風に考えるということを伝えることで、

誰かに少しでも役立ったら嬉しいです。

 

 

 

千秋さんは日本にいる頃、テレビディレクターをしていました。

主にドキュメンタリーを作っていたのですが、制作にはとても厳しい人でした。

 

例えば、映像の中でボカシを入れることはありませんでした。

一般の人を撮影することが多かったのですが、

「顔出しをOKしてくれるまで、取材相手の信頼を得てから撮影する。それが説得できなくてボカシを入れるような内容なら、やってもしょうがない」というタイプでした。

再現シーンもありません。

「再現シーンを使わずに、どうやって視聴者にわかってもらえるか考えるのがディレクターだ」というのが口癖でした。

 

 

そういう人ですから、私が載せている千秋さんの写真を見たら、

「詰めが甘い!!意識のない人間が必死で生きようとしている表情をもっと載せろ」というと思います。

 

 

 

 

またこのブログでは、ハワイに来てからのことを書いていますが、

私達は32年もずっと一緒にいて、

いろいろな所へ行き、

一緒に感じ、話をし、

今に続いています。

 

ハワイも長いですが、私達の第二の故郷はロシアやルーマニアでもあります。

 

 

病気が発覚してからでも、10年という歳月があり、

たくさんの喧嘩もしましたが、

病気について、将来についても話し合いました。

 

 

まだそれほど病気が進行していなかった頃、

延命の話になり、

「俺に何かあって、お前が決断しなければならなくなったら、お前の希望通りにしろ。それが俺の希望だ」と言っていました。

 

 

私は千秋さんに生きていて欲しいです。

よくなってもらいたいです。

千秋さんも、「生きたい、よくなりたい」と思って闘っていると思います。

 

 

クリに関しては、直接聞いたわけではないですが、

今まで育ててきて、

彼女もまた、そう考えるんじゃないかなと思います。

 

 

 

 

 

「幸せ」については、少し話が長くなります。

千秋さんと私は、1990年代毎年ルーマニアを訪れ、エイズの子供達をサポートしていました。

チャウシェスク政権下、もののない時代に生まれた赤ん坊達は、親に捨てられ注射針の使い回しなどで、HIVに感染していきました。

まだエイズの薬が限られていた頃です。

子供達はどんどんエイズを発症し亡くなっていきました。

 

でも政権が崩壊し、多くの支援が入ってからは、親代わりの人たちが子供達を愛情を持って育てていました。

私達は毎年、子供達のドキュメンタリー番組を作り、募金を集め、それをルーマニアに届けていました。(その時のDr達とは、今でも繋がっています)

 

まだ薬のない時代です。子供達は支援が入った後も亡くなっていきましたが、新しい家族ができ、厚い信仰の中で、穏やかに亡くなっていく子を私は何人も見送りました。

 

「親に捨てられ、病気になり、小さなうちに亡くなっていく。

一見、幸せとは遠い所にいるように見える子でも、

本当に心穏やかに幸せを感じられることができるんだ」と思いました。

それは周りの大人達の支えがあったからでした。

 

 

「どんなに大変な状況でも幸せになれる」

その時から、私はそう思っています。

 

 

 

 

塩沢家に話を戻します。

大変な状況です。

でも

「こんな状況だから、私は不幸」という思い方もあるし、

「状況は大変だけれど、家族が団結して信頼しあっていかれる、自分たちの選択に満足して幸せを感じる」こともできると思います。

 

 

私にはアメリカにも日本にも、沢山のOHANAがいます。

病気と闘っている本人です。その家族です。

日本に行って、街頭募金では一緒に立ちました。

 

 

難病だから、治療法はないから、みんな、不幸なんでしょうか。

私はみんなにも幸せになってもらいたいです。

 

 

大変なこともあるし、沢山泣くけれど、

不幸な人生になってもらいたくないです。

 

 

 

クリにもそうです。

病気になって辛いことも沢山あるけれど、

「私は不幸だ」とだけ思ってもらいたくないです。

千秋さんも私も、少しでも楽しいこと嬉しいことがあるように、クリと接してきました。

その部分では、きっとクリも、

「うん、そこは幸せだよ」と言ってくれると思います。

 

 

きっと千秋さんも、同じ考え方だと思います。

 

 

 

なんだか、話が飛び飛びになってしまいました。

 

 

もう一度書きますが、私はコメントを書いてくれた方に反論したくて書いているのではありません。

 

 

私がこのブログを書いているのは、10年前の私と同じ状況のOHANA達にです。

 

 

病気がわかって、目の前が真っ暗で、

どうしょうもなく怖いと思います。

これから、どうなってしまうのだろう、、と思っていると思います。

 

 

心配は尽きないですよね。

 

 

だけど、

その先にあるのは「不幸」だけじゃないです。

「幸せ」をかみ締められることだってあります。

 

「難病になって不幸」と思うか、

「病気は大変だけど幸せも感じられる」と思うか、

それは選べることだと思っています。

 

 

 

 

明日がいい日
なりますように。

 

 

PS、、今日のクリです。病室で髪を切りました。

目も入院前に戻ってきたようです。よかった!!

 

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